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下町の味、師匠の味を継承するために。青戸「いちや」店長、関根良

FOOD&DRINK

2018.11.19

近年、また古き良き下町ローカルのカルチャーがピックアップされている。それぞれの魅力がぎゅっと凝縮された一軒一軒を、今日も人々が美味いつまみとお酒をハシゴして楽しんでいる。

ただ、現在「古き良き」と表現される昔ながらの店舗では、当然ながらその店舗や建物の老朽化や再開発問題、店主の高齢化や跡取り問題にも繋がっている。

そんな中、長年慣れ親しみ育ってきた、その下町の文化を継承するがごとく立ち上がったのが、「いちや」初代店長となる関根良だ。

下町の食文化を愛して止まない彼が、現代に伝えたいその良さと想いを語ってくれた。

下町の味は育って来た師匠の味

経験や知識を新しい形にしてアウトプットする

僕がバンド活動を休止する頃に、ちょうど「仕事」と「バンド」というものを別々に考えはじめてたんです。「音楽だけでご飯食べていく」っていうよりは、「本当に好きなこととして」バンドをしたいから。

バンドを仕事にして頑張ってる仲間たちもいるじゃないですか、メジャーにも行ったりして。それはとても素晴らしいなと思ったし、また活躍している姿が励みにもなりました。

ただ自分のバンドへの向き合い方は「現実的なしがらみや制約なく、自由に表現できるもの」でありたいっていう考え方があって。

音楽だって「仕事」となれば色々な大人達の要求があったり、それにまつわる縛りの中できちんとやっていかなきゃいけない。

でもその仕事は仕事で、どうせやるなら自分が一生懸けて情熱や探究心を費やせるものにしたいって思っていたんです。

高校生の時は大手チェーンの飲食店で、バンド時代はラーメン屋さんでの勤務が長かったです。飲食店には過去に5年ぐらいは勤めたと思いますが、何となく自分に合ってるなっていうのは感じてました。あとは営業のお仕事もして、これもまた自分に合っているなと思いました。

その後、営業職から飲食業界に舞い戻るんですが、それもやっぱり音楽との共通項を見出せていたからなのかなと。
「自分のインプットした様々な経験や知識を新しいものや形にしてアウトプットする」こと即ち、一生懸命仕込んだ料理をお客様に召し上がっていただくのも、頭捻って作った曲をRECしてリスナーに聴いてもらうのも一緒だなって。

あとはどれだけその対象者を幸せに出来るか。

しかも、飲食業なら自分の好きなお酒もあって、直接顔と顔を合わせて「接客」できる自分に合った場がある。20年、30年後の未来を考えた時に是非チャレンジしたいと思えたんです。
自分のインプットした様々な経験や知識を新しい形にしてアウトプットすることは、音楽も飲食も同じだなって。

師匠の味ついやしちゃいけない

僕の生まれが四つ木とか立石なんです。もつ焼き産業が盛んな街なので、小さい時から父ちゃんに連れられてカウンターにちょこんと座って、ジュース飲みながらもつ焼き食わしてもらう、みたいな感じが自然だったんです。

飲みの帰りに、家に「おみや」を提げて帰るのもよくあることでした。食卓にもつ焼きが並ぶのもスタンダードだったんですよ。

ところが最近は、そういう「下町文化」や「もつ焼き屋」がメディアでフォーカスされて、地元じゃない外部の人達が食べに来るようになった。それはそれで街が盛り上がるんで良いんですが、それが逆に地元の若者には意外に敷居を高くしちゃったりして。

接客も含め、店独自のルールがある店が多くて、正直一見さんは戸惑いしかないんですよね。笑庶民的であるはずの飲み屋が殿様商売して庶民を戸惑わせんなよって。それだったら自分の思う、アットホームで老若男女楽しめるもつ焼屋やりたいなぁと思ってました。

そんな時に、大きなきっかけになってくださった方(今では師匠)がいたんです。今は青戸に奥様とお二人でお店を営まれてるんですが、かつては立石の「江戸っ子」という老舗のもつ焼き屋で、30年ぐらい店長やられてた方なんです。

僕の地元の友達が、家族ぐるみで師匠と仲が良くて、師匠が新しくお店をオープンされる時にその友達に紹介してもらいました。それに実は、僕が4歳くらいから父親によく江戸っ子に連れてってもらってたときに焼いてた人が、その師匠なんです。だから僕はずっと師匠のもつ焼を食ってるんですよね、気づかないうちに。

焼酎ハイボールっていう飲み物がやっぱりこの街ではすごく根付いてるんです。「焼酎、炭酸、梅シロップ」って。

昭和20年の戦後、ビールやウイスキーが日本に入ってきたんだけど、結構高かったらしくて。「ウイスキーハイボール飲みたいね」って言っても飲めないから、焼酎を炭酸で割って、味気ないから梅シロップ垂らして飲んだら美味いじゃんってなったのがその焼酎ハイボールの始まりです。

その焼酎ハイボールの原液をオリジナルで作ってるのが、師匠の前に勤めていたお店の「江戸っ子」で、そこでしか飲めないオリジナルのハイボールだったんです。

師匠は30年ずっとその原液を作り続けてきたんです。今の「江戸っ子」のハイボールは、また味が変わっているから、30年前のハイボールの味飲めるのは師匠のところだけ。それと師匠が今は、70歳ぐらいなんでね。

師匠の味を絶やしちゃいけないと思って話したら、「お前に全部教えてやるから外で3年修行して来い」って言われて。それがちょうど僕もバンドがストップするのが決まってた時だったんです。

もうこれは、と思ってすぐに、求人を色々探しました。

気になるもつ焼き屋に片っ端から行って

とにかくめちゃめちゃな量の串を焼ける店を探したんですよ。「串が出るもつ焼き屋」をいろいろ探したら、「1日に串が500~800本、多い日は1000本ぐらいをひとりで焼ける環境」が船橋にあったんです。

「ここだっ!」って思って正社員で入社しました。そこで2年弱くらい勤めました。

それより以前に、ダーツバーでアルバイトしていた時があったんです。そのお店のオーナーは葛飾区でもう10年ぐらい、ダーツバーを3店舗経営しているんです。

そのオーナーが、4店舗目は居酒屋業態で出店したいと言っていて。僕が独立したいのも知って下さってたから、常々、いろんなことを教えてくれるんですが、この船橋の就職先にも食べに来てくれたんです。

そんな時に、「独立する前に、うちで店長としてゼロから携わってくんないか」ってお声がけいただいたんです。

そこからオーナーと一緒に、まずは物件取得の為の不動産屋まわりからスタートしました。お店の開業準備は、知識的には「段取りとして」知っていても、実際にはどういう部分でお金がかかるのかを実体験できるっていうことに、この時はすごいメリットを感じました。

そしてこの青戸のエリアに物件が決まったときに、いよいよこれから始まるんだなって想いと共に、ここで結果を出せないんだったら多分独立してもダメだなって思ったんです。自分としてもすごくいいチャレンジだったと思います。

それで今現在、ここに店長としてやらせていただいてるっていう形なんですけど。

お店がオープン準備が始まるまでの約半年間は、前職の営業職に一旦戻らせていただき、仕事が終わったら、夕方から知り合いのつてで新橋のもつ焼屋でも働かせていただいてました。

あとは、休日に気になるもつ焼き屋に片っ端から行って、改めて研究や勉強の時間に充てました。非常に有意義な半年間だったと感じています。

自分の目と舌で直に感じ無いとダメだなと改めて思いました。
前の船橋の会社で2年弱、新橋のお店で半年、ここであと1年やったら、師匠との約束の3年は完了ですね。

気持ちが褪せることなく

情熱のボルテージ、実は今も全然落ちてない

就職する前の20代ってバンドしかしかやってなかったから、バンドのストップが決定したときは「燃え尽き症候群」みたいになっちゃうんじゃないかと毎日不安でした。

だからその時師匠に出会って、「バンドに代わる熱量を注ぎ込めるもの」を見つけた時に、暴走列車みたいになっちゃって(笑)エネルギーを独立開業することに全部振り切ってしまって。

もつ焼きのカットも、串打ちも、焼きも経験ないのに、いきなり。自己資金がほぼ無かったので、日本政策金融公庫や葛飾区に助成金の相談に行ったりもしてました。そんな中で物件も立石に決めちゃってました。(笑)
結果的にその物件も事情があって入らなくなったので、独立開業は一旦ストップしました。

もしあのままやってたら、確実にポシャってたと思います。仮にやってても、美味しいもんは絶対出せなかった。

その後、すぐにそのエネルギーを次の就職にすべてつぎ込んだんですが、師匠の「3年働いてこい」って一言が、そうだよなってこの時ほんとに沁みました。この時期の僕のことも、オーナーは知ってくださってます。

その情熱のボルテージ、実は今も全然落ちてないんです。むしろ上がるばっかり。今スタートして2ヶ月ですが、お客さん来なかったらやべーって思ったり、それがもし何日も続いたら、とか考えたり。

店長として当たり前のことですが、やればやるほど個人店舗を経営することの大変さが身にしみて、でも反対に希望も見えるんです。すごく楽しくもあり、ヒヤヒヤもしつつ。毎日毎日がジェットコースターみたいな感じです。

庶民の生活にとても密接なもの。だから肩肘張らず

自分が考えるお店の理想は、年配の人にも、そして若い人たちにも楽しんでもらえるようなお店です。もつ焼きって、下町の食文化であり、庶民の生活にとても密接なもの。

だから肩肘張らずに、例えば1日頑張ったサラリーマンが帰りにふらっと寄って、食べて、癒されて、明日頑張ろうってなれる、そういうものであってほしい。背伸びしない、そういうお店にしたいんですよ。

この店舗は駅からは1分もかからない距離ではありますが、人の流れとは逆方向にあるんです。そしてビルの5階という空中階の店舗なので、知ってもらうための努力は欠かせません。立地って本当に大切な条件だなって思います。

ぐるなびとかの媒体も便利でいいんですが、コスト的に見合わなかったりします。そこで一番お客さんに知ってもらえるきっかけになったのは駅前のビラ配りでした。そういう地道なものが大切なんだなっていうのがすごく身に沁みました。

バイトさんに、早い時間に駅前でビラを配ってもらってます。ビラには一杯サービス券が付いてるんですが、それ持ってきてくれるご新規さんがたくさんいらっしゃるんです。それをみると、本当にビラ配りみたいなアナログなこともしてかなきゃいけないんだなってすごく感じます。

親父のおでんの味を再現できるなと

僕が独立する時には、屋号を「もつ焼き●●」みたいなニッチなものでいきたいなと思ってます。
ただ、今回の店舗はオーナーの意向としては、串あり、おでんあり、煮込みあり、もつ刺しあり、それに鮮魚が毎日日替わりで出ます、っていう総合居酒屋の形態でやりたいという要望でした。
僕が就職した船橋のもつ焼き屋は、屋号こそもつ焼き●●でしたが、実際には総合的居酒屋としても成立するくらいのメニュー構成で、全部で60、70品くらいメニューが揃ってました。だから普通にもつ焼きを食べないで帰るお客さんもいる。そういうのも大いに結構で素晴らしいことだと思ってましたし、その経験が、今回のオーナーの意向を尊重したお店作りや、グランドメニュー作りにも活かされました。

なるべく出来合いのものや冷凍食品、既製品を使わないというのは基本のコンセプトですね。いちやは「手間を惜しまない」ということを根本にやってますので、正直1回お店に来てもらえれば、価格にも満足してもらえるようなメニューは揃えたつもりです。

自分の親父が以前、おでん屋さんをやってたんです。そこも立地が悪くて、おまけに携帯も普及してない時代だったんです。味が良かったのに潰れちゃったんで悲しいところです。

今の自分だったら手伝ってあげれるところがあったなって思う点もありますが、でも冷静にそういうのを分析してるもう一人の自分がいたりしてます。

これだけのバックアップがある中で新店舗をスタートできるんだったら、親父のおでんの味を再現できるなと思ったし、グランドメニューに加えたいと思ったんです。それで、親父に頼んでレシピを教わって試作して、今そのおでんを出してます。

たまに味見でちょっと食べてみると、懐かしい味。それが最近嬉しいんです。

焼酎ハイボールはここでも置いてます。ここは原液を直接作ってるわけではないですが、昔ながらに焼酎と炭酸、あとは街で古くから使われてる梅シロップを入れてます。美味しいんですよ。

自分がいる間にもそうですけど、自分が離れても

「教育」がすごく大事だと思ってます。このご時世、飲食業界では働き手の確保自体が大変です。せっかく確保した人材に、どのように業務を落とし込むかっていう、教育の部分がキーだなと。

自社内でそういう教育制度が確立できていれば、離職率を下げつつ、スピード感を持って店舗を拡大していけるんではないかと考えています。

後は地域に根ざしたお店作りを心がけてます。この地域の人たちに、「今日どこ行く?」「いちや行こうよ」って、自然に会話に出るようなお店にしたいです。自分が店舗にいる間にもそうですが、自分が離れてもそんなお店であるために。

そのために、いち居酒屋さんとしてのマインド的なところも、このいちやに、何か残していけたらいいなとはすごい思っています。このキャパシティでこの居心地で、お客さんが入ってても閉塞感がない。それって作ろうと思って作れるものじゃないんで。

もし僕が独立したら、もっとニッチになってくので、メニューもいちやとはそんなにバッティングするわけでもない。それにいちやを好きでいてくれる人はいちやに絶対来続けると思うんです。

オーナーも自分も、「本当に自分が来たくなるようなお店を」っていう目線でずっとずっと話し合っていちやを作ったんです。また、僕が独立しても、お互いに相乗効果出るぐらいのサービスをしちゃってもいいなって。

僕が出店したら、いちやのショップカードを置く。自分が離れた後に、いちやが潰れちゃったみたいなの、すげえ悲しいし、そんなの嫌だし。逆に、いちやから独立したのに、その後独立した自分の店が潰れるっていうのも、いちやに申し訳立たないし。

だからいちやは、一生応援し続ける気持ちです。思い入れどころの騒ぎじゃない。こんなにいろんなことを初めてやらせてもらった場所だから、すごい愛深いです。

あとは、スタッフ総勢で15人ぐらいなんですが、この2ヶ月でよく集まったもらえたなぁと思ってます。オーナーや僕の高校の同級生が手伝ってくれたり。ほかには、韓国料理屋さんでバイトしてたベトナム人の店員さんがすごい人懐っこくて話してて、雇っちゃいました。グローバルに行こうかなって思ったんです。

一歩一歩かたちにしていく

自分の理想を目の前で見させてもらい

実は来年にはもう独立しようと考えています。オーナーも、それを応援してくれていて。「いちや店長」としての任期は短いんで、しっかりいちやのベースを作っておくのが僕の使命だと思って日夜業務に取り組んでいます。

独立開業と並行して考えてはいますが、将来的には、オーナーのように僕も多店舗展開していきたいです。師匠のハイボールの味を、たくさんの人に飲んでもらって、知ってもらいたい。そこに自分の味も。

そういうような考えになったのはここ1、2年で、オーナーの存在が本当に大きいなと思いますね。
オーナーには、自分の理想を目の前で見させてもらい、日々勉強させてもらい、そして店長職という現場も経験させてもらって、本当に恵まれた環境を与えて下さってるなと感謝しています。

その恩義や感謝があるので、「オーナー達が今持っていないものを僕がこの会社に残していくことが、僕の義務である」っていう使命感があります。その使命感の下に仕事をやらせていただいてるし、そして何より仕事が楽しいです。

夢中になれるものに対して、これからも正直で

僕が独立してやりたいと思ってる事業の中に、ケータリング事業もあるんです。
フェスのフードをやりたい。フェスでもつ焼きや焼酎ハイボール、煮込みを販売してるブースって多分無いですよね?(笑)

バンドに密接な音楽フェスに出店することで、改めて音楽と寄り添えたら素晴らしいなと。
採算が見合うなら、フェスだけじゃなくてライブハウスもガンガン主戦場にしていきたいですよ。
月に1回、年に何回、とかあるんだったら、1店舗と数えなくても、1.1店舗、1.3店舗ぐらいの力はあるはず。そのケータリング事業が、お店が苦しい時の助けになってくれるはずでもあるから。

自分の人生30年ちょいを振り返ると、その時その時に夢中になれるものが常にそばにありました。学生時代はサッカー、20代は音楽が、そしてこの30代、音楽からスイッチする前に「飲食」っていうやりがいに出会えました。

本当にやりたいものや夢中になれるものに対して、これからも正直でいたいと思ってます。学生時代のサッカーにも、20代の音楽にも、「もう少しこうしてればがこうなってたかもしれないな」って思える点がもちろんあるので、種類は違えど、飲食にそういう経験を活かしていけるんじゃないかなと思ってます。

飲食は、今後の僕にとって、自分の生活や家族の生活を支えていく柱になるものでもあります。ただの夢だとか、そのうちなれるものだけではおさまらない。責任がありますし、妥協がないように、お店作りに活かせていければいいなと思ってます。

更に理想に近づくために

面倒を見てくれて、そして一緒にお店を作り上げてくださっているオーナーには、本当に感謝していると話す。

1年で独立すると言っているのに店長を任してくれるだなんて・・・信頼関係のもとに成り立ち、双方は野心に満ちている。

更に自分の理想へ向けて、情熱のボルテージは上がり続ける。

いちやから、関屋(仮)へのハシゴ酒を楽しみ、美味しいもつ焼きにおでん、そして、師匠直伝の焼酎ハイボールに酔いしれれるそんな1年後を、私は、楽しみに待っている。

INFORMATION

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ACCESS:東京都葛飾区青戸1-9-23ジュネパレス葛飾第一5階

TEL:03-5670-1201

 

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