新宿ゴールデン街。
観光地として外国人も多く足を運ぶこの街は、お酒が好きで楽しいことが好きでなんとも愉快な人たちが集まってくる、昔ながらの風情ある飲み屋街だ。
この街でひと際笑い声が響く場所が、『新宿ゴールデン街劇場』である。
お笑いコンビ『八福亭』では、第34回今宮戎漫才新人コンクール大賞という輝かしい経歴を持つヒデキチ氏。
彼は今も表舞台とは違った形で、この場所からお笑いを創り続けている。
お笑いイベントディレクターとそっくりさん
自分たちでイベント企画するのが好き
元々お笑いコンビ、八福亭っていうコンビやってまして、解散して、今は新宿ゴールデン街劇場で担当ディレクターをさせて頂いてます。
具体的にお笑いのディレクターは劇場の全部管理ですね。
予約受けたりお金受け取ったり、あと公演見守ったりとか、そういったことですね。
ゴールデン街劇場では僕がイベントの企画する時もあれば、仲いい芸人さんに企画を任せて場所を提供してっていう事もあります。
チェリー吉武さんと僕が仲良くて、チェリーさんのマネージャーさんが「新宿ゴールデン街劇場をワハハ本舗さんが持つから、支配人がいないからなってくれないか」というオファーが来たんです。
面白そうなのでやりますわって言ってっていう流れですね。
芸人の時からずっと自主ライブやってたんですね。会場借りて芸人集めてお客さん集めてっていうのを。
元々そういう自分達でイベント企画するのは好きだったんですね。
偽りジャパン伊藤ピカル
他には『偽りジャパン』。そっくりさん。
これは野球好きのバイトの先輩から、「似てる人おるよ」って当時オリックスの伊藤光選手(現在はDeNA)の写真が送られてきて。
僕は似てないと思うんですけどね。全然似てないと思いましたけど。でもちょっとおもろいからオリックスのユニフォームと帽子買って、ファンイベントに行ってみたんですよ。
ほんなら結構「似てる!」って言われて、おもろいからじゃあやってみようって感じですね。
これはもうたまにしかやってないんですけどね。
伊藤選手応援してますよ。本人にもお会いしたことありますし。
始球式キャッチャーやったんですけど、僕下手なんでボールが捕れないんですよ。決まらないんですよね、恥ずかしかったです。
でもこれからもDeNAとか何かイベントとか、隙あれば行こうかなとは思ってる感じですね。
お笑いが好きでひとりで東京へ
クラスにいるひょうきんな子
たぶん飽き性なんですよね。
子供の頃はサッカーやったりバスケットやったり空手やったり、色んなことしてたんですけどそんな長く続かないっていうか。
みんな笑わせるのは好きでしたね。
小学生の時から発表会みたいなのでみんなでネタ考える。そういうのは好きでした。ベタですけど先生の物真似とか。よくやってましたね。
でもクラスの中心になって生徒会長みたいな、わーわー先導して仕切ったりとかそういうのは嫌なタイプで。団体行動も嫌ですし運動会とかも嫌ですし。
クラスにいるひょうきんな子みたいな、そんな感じだと思いますね。
一番最初お笑い芸人さんかっこいいなって思ったのは、島田紳助さんです。大阪だしずっと番組見てたんで。
それがきっかけでお笑い見るようになって、難波グランド花月とか見に行ったりとか。
中学の時は吉本新喜劇。高校の時は漫才ばっかり見てました。
お掃除バイトで運命の出会い
高校の同級生にNSC行こうって誘ったんですけど、大学行きたいからって断られたんです。
結局僕一人で、高校卒業してすぐ東京に来ました。
東京に行って最初はNSCに願書送ったんですけど、もう面接が終わってて間に合わなかったんです。ずれたなと思って。
また諦めずに送ればよかったんですけど、一年くらい何もせずにずっと働いてただけでした、生活に追われて。
とりあえず来てみたものの、もう金がない。
高円寺でお掃除のバイトして。
たまたまそのバイト先でチェリー吉武さんに出会ったんですよ。
今思えば、じゃあこれがけっこう運命の出会いだったかもしれないですね。
その掃除バイトの人達、けっこうだらしない人達が多いんですよ。仕事終わったらすぐ3時くらいから飲んでるとか。すぐギャンブル行ってるとか。
それはそれで楽しかったんですけど、そんなことするために東京来たんちゃうなと思って。
楽しい生活から抜け出さなきゃと思って、一年で辞めましたね。
毎日お笑いをやっていた
幼馴染が相方に
お掃除バイトを辞めてから、お笑いスクール行ったんですよ。
作家さんとか呼んだりしてネタ見てもらってダメ出しをもらうみたいな授業してて。
色んな事務所のオーディションがあって、頑張ればそこで拾ってもらえるんですけど、そこでの最後のオーディションに落ちちゃったんです。
もうお笑い辞めようと思った時に、幼馴染から連絡があって。
その子僕の幼稚園の先生の娘さんで、みずほっていうんですけど、たまたまみずほも子役からずっと旅劇団みたいな所にいて、東京に来てたんです。
みずほはミュージカルの事務所に所属してたんですね。
そこの事務所でお笑いとダンスで芝居作ってコンクール出すという話があって、「みずほ誰かお笑いやってる人知らん?」って聞かれて、「私の幼馴染がお笑いやってるから」って僕紹介してもらったんです。
始まりは、遊びでちょっと漫才やってみようかって感じでやったのがスタート。
それが後の相方になったんです。
みずほはもともとお笑いは好きだけど、そんなやりたいとかは無かったみたいですね。お芝居の人だったんで。
ミュージカルの事務所だったんで、始めは月1~2回くらいしかライブに出てなくて、お芝居・ダンス・アクションばっかりやってたんです。
ダンス苦手でしたね。
スパッと辞めてしまう勇気
フリーでお笑い芸人として活動するになったんですけど、ほんとに毎日お笑いやってたんですよ。月に25日くらいお笑いやってた。
オーディションとかも行ったり。とりあえずお笑いライブがあったら全部に出てまくってましたね。
その頃の生活は、朝工事現場でバイトして、12時にぐらいに終われるんで、そこからネタ合わせして夜までやって、また朝早く起きてみたいな。健康な生活でしたね。
なかなかハードスケジュール。
でも楽しかったですね、その時は。
もうすごいお笑いがやりたくてやりたくてっていう感じでした。
それでその後三木プロダクションにたまたま入れたんです。
でも所属しても、お給料とかもらえないですよ。歩合制なんで。
だからフリーと何も変わらないです。オーディションが増えたりとかはありました。
ABCお笑いグランプリって大阪の方では若手の登竜門みたいなのに出たんです。
準決勝たまたま残って、その時ジャルジャルとか銀シャリとか出てたんですけど、みんな面白くて、もうけっこう心やられましたね。
上には上が山ほど。
けっこうもう限界感じてたんですよね、この時くらいに。
僕が「解散しよう」って。
その時みずほは、「そこまで決めてるならたぶん覆らないからいいよ」って。
受け入れてくれた感じですね。
ものすごい人たちと一緒にやっていくのに、そこに勝っていかなきゃダメなんですけどね、ほんまは。
でもそこまでの気力はもう。そこまで二人で上がっていけるとは思えなくなってしまったので。
先がもう見えなくなって。
しがみつければいいのかもしれないですけど。
辞めてから、まずはめっちゃ楽になりましたね。なんかむっちゃ楽やなあって。
肩に乗ってたものが一気にっていう感じもありましたけど。
あとはやっぱ虚しかったですね。どこ向かえばいいのかなって。
やっぱお笑いが好きだったんだなっていうのは改めて思いましたね。
ここまでいったら色んな道があったかもしれないけどそこでスパッと辞めてしまうっていう勇気というかね。
すごい勇気いりましたね。辞めるほうが勇気いりましたね。
そこからどちらかというとそれを運営する側みたいな感じにシフトしていきました。
そっちに奇跡的にいけましたね。
大好きなチェリー吉武さん
やっぱりチェリーさんが好きで
チェリーさんとは上京後のお掃除のバイトで知り合ってから、その後は5年くらい会ってなかったんです。
当時チェリーさんが『ラジークイーン』っていうオカマの3人組やり出したんですね。
僕はやっぱりチェリーさんが好きで、老人ホームのイベントがなんかあった時に、無理矢理声かけたんです。
「チェリーさん一緒に行きましょう。どうしても来て欲しかったんで呼んだんです。」って。
そこで再会したんですけど、それからまたしばらくしてから、チェリーさんが解散して一人になったんですね。
その時に僕らがやってたネット番組で『ソーシャル大喜利』っていうのがあって、チェリーさん呼んだんです。
何かしら関わって欲しいんですよね。好きだからね。
それからもうそのまま一緒くらいですかね。
今はもう一緒にいる時間けっこう多いですね。昨日も一緒にいたんで。
イギリスから怒られて
アシスタントっていうのは、もうそのままアシスタント。何でもやります。フォローもやりますし、前説もやりますし、ほぼ相方に近い感じですよね。
チェリーさん、お尻で胡桃を割るっていうギネス記録持ってるんです。
お尻にCDを投げるっていう芸があるんですけど、チェリーさんがお尻出して、僕がCDを投げるんです。
それをYouTubeにあげたら、イギリスの制作会社から注意されて。
チェリーさん、イギリスの子供番組に出てるらしいんです。
子供に悪影響だと言われて、止められました。
あとはお尻にサボテンとか。
これ僕ちょっと失敗したんですよ、お尻にサボテン。
僕が緊張してしまって、お尻ではなく足に投げてしまって、足に針刺さって。
チェリーさんそれに気付かずに、翌日42.195キロのマラソン走ったんですよ。針が刺さったまま。マラソン大会。
そしたら足パンパンに腫れて。
なんか痛いと思ったんだよなーって言って、気付かずにマラソン走って、次の日僕が病院連れていきました。
そういう人ですよ。
お笑いは表も裏も一緒
東京で一番人気のないライブ
ゴールデン街劇場で、東京で一番人気のないライブっていうのを僕が企画してやってるんです。
もう汚い芸人集めて、対決させて。ほんと泥仕合なんですけど、でもおもろくて。
最初お客さんが全然集まらなくて、芸人も8組くらいだったんですけど、なぜか芸人が出たい出たいって。
出たいって人を断らないでおこう、どこまで増えるのかなって思ったら、次20組位来て。
でも全員ステージに上げるわけにはいかないから補欠席みたいなのを作って、面白くない人は丸椅子に座らされて舞台に上げられないっていう。
それでも出たいならどうぞっていうスタンス。
これ、はなからお客さんを呼ぶ気がないんですよね。無視してるんですよね。
けど評判になったか知らないですけど、次第にお客さん入るようになって。
あと僕が面白かったのは、淡路島のおっさんライブ。面白かったですね。
福原さんって、イベンターなんですけど、その誕生日企画で。
この人素人なのにけっこうお笑い芸人に厳しんですよ。
今のネタはこんなあかんかったとか、ここもうちょっと膨らましてたらよかったとか、今の答えはおもんない、大喜利とかでもおもんないとかよく言われたんで、逆に仕返ししてあげたんですよね。
誕生日イベントなんで、福原さんを一番前にして豪華なソファを置いて、目の前に座ってお客さんめっちゃ囲んで、この人が主役ですって。
最後大喜利コーナーみたいなので、福原さんに答えさせて、めっちゃ滑らすっていうのをやってました。
全然センスないのによう今まで言えたなっていう、ここでやっと仕返しできたなっていう。公開で滑らした感じです。偉そうな人が滑るって面白いじゃないですか。
人が喜んでくれる顔が見たい
お笑いって、芸人じゃなくても一生続けていけるんじゃないですかね、日常でも。
お客さんが喜んでくれる顔が見たいだけなので。それもお笑いになるのかな、表舞台・裏も一緒かなっていう感じですかね。
人が喜んでくれる顔が見たい、それ大きいですね。
芸人時代からずっとそうですね。お笑いに対するスタンスっていうのは、表にいるときも裏にいる時も変わってないです。
自分で主催してたときから、お客さんって見に来てるお客さんだけじゃなくて芸人もお客さんだと思ってたんで。
呼ぶのも技術じゃないですか。
そういう目線で見てたんで、ひとりひとり喜ばせたら、結局お客さんも芸人も全部喜ぶかなと思ってたんで。
ほんとに目の前の人全員が喜んでほしいなっていう感じですかね。
今個人事業なんですけど、これをグループ会社にしていきたいんですよ。
会社にしていきたくて。
どこでもいいんですけど歌舞伎町でバーやれば芸人が働いてもらって、食えない人達を食えるようにしたい。
食えないとすさんでいくと思うんです。僕もそうでしたし。
すさんでいって面白くなればいいんですけどね。
芸人たちみんなアルバイトしながらやってきてます。
多少ちょっとテレビ出たくらいじゃ食えていけないんで。
芸人さんがお笑いをやりやすい環境を作るみたいな。
ほんとにお笑いが好きでお笑いをやりたいならたぶん突き進んだ方がいいと思うんで、そういう人達応援できればいいなと。
僕がそこまでお笑いに対してのやりたいってこれがなかったから、逆にそういうやりたい仕事があるなら応援したいですね。
何かおもろいことをやって欲しいだけなんですけど。
おもろい人と触れ合ってたいというか。それをバックアップしていきたいっていうね。
面白い人を見つけたいです。
面白いとか変な人と関わっていきたいですね。
笑いの渦を作り出す
「わーきゃーやるの嫌いなんです。」と語るヒデキチ氏。
確かにお笑い芸人によくあるようなわーわーしたイメージは、全く感じなかった。
面白いことの中心に居ながらも、それを穏やかに見守りつつ、更にスパイスを加えるような。
ヒデキチ氏は日々お笑いの味を引き出す存在となる。
彼の作り出す笑いの渦は、これからもたくさんの人たちを巻き込んでいくだろう。
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