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常識を覆す、それが芸術の役割だ。世界中にファンを持つコラージュニスト・中村拓音氏

ART

2019.3.2

誰にでもできるが、誰にもできない。芸術とは不思議なものである。

なかでも、もとの写真を切り貼りして新しい作品に仕上げる「コラージュ」は、他の表現技法とは一線を画す表現技法だろう。絵画や音楽などに比べて偶然性が高く、ときとしてその作品は作者自身ですら予想できないほど、異質な空気を伴う。

愛知県に拠点を構えて、週に一度SNSでコラージュ作品をアップしているのが中村拓音だ。インパクト抜群な彼の作品に魅了されるファンは多く、一度投稿すれば世界中のアート好きから200件前後の「いいね!」が付く。中村が考えるコラージュならではのおもしろさとは、そして作品の背景にある想いとは。

横尾忠則氏の作品がコラージュに目覚めるきっかけに

「これは何だ」と思いました

18歳のころにスナップ写真を撮り始めました。

もともと森山大道氏の影響を受けてモノクロ写真が好きになり、そこから写真に興味が湧いたんですよ。それで当時は街中の風景をよく撮っていました。当時は大学1年生だったので、時間があったんですよ。展示会にも参加するなど、かなり精力的に動いていましたね。

デザイン系の大学だったので、芸術に関する授業もいくつかあって、自ずといろんな表現方法を知るんです。なかでも衝撃を受けたのが横尾忠則氏のコラージュでした。

「腰巻お仙 忘却編」という演劇のポスターでコラージュを用いていて、とにかくしっちゃかめっちゃかだったんです。「これは何だ」と思いましたね。

その後に大学の講義でコラージュの課題を作ったときに、すごく楽しくて「写真だけじゃなくて、コラージュに挑戦しようかな」って。じわじわとコラージュに対して好奇心が湧いてきたんですよ。

かなりおもしろくて、そこからのめり込んでいきました。

大学を卒業してからも、サラリーマンをしながら写真を撮り続けていたんです。

そのころは人物のモチーフを撮ることが多かった。顔の表情から人生観を表現したかったんですよね。展示会に出展しながら写真家として活動していました。

26歳のときに初めて出した写真集の装丁をコラージュでデザインしたんですよ。

当時は雑誌を切り貼りしてつくりましたね。写真集のテーマが「東京と大阪の街」だったので、それに合わせてコラージュで街を表現したんです。かなりおもしろくて、そこからのめり込んでいきました。

コラージュならではのおもしろさとは

その瞬間、作品が自分の想像を超える

写真の場合はそこに写ったモチーフでしか表現ができないんですね。小説も絵画もそうだと思います。テーマが決まった瞬間に、自分が考えた通りのものができるんですよ。

一方、コラージュは素材次第で無限の組み合わせがあるんです。

例えば「海の写真」と「女優の写真」があったとします。その2枚は本来交わるはずのない組み合わせですよね。でも海に女優を浮かべることで、もともと予期していなかった斬新なモチーフが偶然的にできあがるんですよ。

その瞬間、作品が自分の想像を超えるんです。

コラージュのおもしろさはそこにあると思いますね。

26歳で最初の作品をつくってから、7年で約500作のコラージュをつくりました。

はじめは雑誌を切り抜いてましたが、今では画像処理ソフトを使っています。かなり自由度が高いですね。いろんな画像を作れるので構想も練りやすいんです。

見る人と自分がストーリーを感じられるような作品を

作品のモチーフは年々変わっています。

はじめは好きな素材を無作為に並べた混沌とした作品だったんです。でもコラージュを始めて4年、30歳のころから作りたい作品が変わってきたんですよね。

きっかけは作品に自分の意思を込めようと意識したことでした。

そのときから「見る人と自分がストーリーを感じられるような作品にしよう」と決心したんです。想像力をかきたてるような1枚に仕上げたいんですよ。

だから、ちょっとブラックな作品になるし、動きが見えるような構図になりますね。

SNSが発達している現在はすぐに自己表現ができる

作品を見てくれた方がSNSで反応してくれるのはアーティストとして嬉しい瞬間です。

1枚のコラージュを通して人とつながる感覚を覚えますね。そして拡散のスピードが速いのもSNSの良さだと思います。

ネットが発達する前はアーティストが作品を発表できる場が限られていた。画廊やギャラリーのような、展示スペースに置かせてもらうしかなかったわけですよね。

その点、SNSが発達している現在はすぐに自己表現ができるし、世界中のフォロワーが見てくれる。作品を通して交流ができることはやりがいにもなっています。

基本的に僕のコラージュは背景が黄色くて表面がモノクロでできています。これは一目で中村拓音の作品だと分かって欲しいから。黄色を選んだ理由は「元気になる色だから」っていう単純な理由です。

作品の背景にある巨匠の姿、そして常識を疑うこと

彼は挑戦的な人生を送りました。僕はそこが好き

作品に関して影響を受けたのは岡本太郎氏です。

彼の言葉として「芸術は爆発だ」はよく知られていますよね。彼は芸術を人生そのものだと捉えているんです。その考え方にはかなり影響を受けています。

また人生観にも尊敬していて、彼は常に新しい作風を突き詰める挑戦的な人生を送りました。僕はそこが好きで作品にも投影しています。

また岡本氏は1930年代をフランスで過ごされていた。シュルレアリスムという芸術運動にも影響を受けているんですよ。コラージュという表現方法自体がシュルレアリスムとの関係も深いんです。表現そのものとしても彼の作品は好きですね。

すべて認め合えばいいじゃないかって、そう思う

そのうえで作品には「常識を疑え」というメッセージを込めています。

現代は何かと価値観を押し付ける傾向があると思うんですよ。マスメディアが右と言えば国民が右を向く時代です。

芸術って、そこに一石を投じる役割があると思います。いろんな価値観があって、それぞれに表現するメッセージがある。それらをすべて認め合えばいいじゃないかって、そう思うんですよね。

私の作品には一般的に毛嫌いされるエロ・グロ・ホラーのモチーフがしばしば出てきます。それは異常な状況かもしれません。でも多様性を認めてほしいんです。そう思いながらコラージュを作っています。

新たなコラージュの可能性を模索する

先人が決めた手法に縛られずにもっと新しいことに挑戦したい

これまであらゆるコラージュニストが表現の幅を広げてきました。自分も先人が決めた手法に縛られずにもっと新しいことに挑戦したいんですよね。

具体的にいうと動画や立体物です。

コラージュの可能性に挑戦しながらも、SNSでは週に一度作品を投稿して、半年に一回くらいは作品展をします。活動のなかで多くの方に作品を見ていただき、名前を覚えていただけたら嬉しいですね。

その結果、自分の作品が国内外のアートシーンに影響を与える存在になれるように作品をつくります。特に国内のアート市場の活性化につながることを望んでいます。日本ではまだ「芸術は難しいもの」という固定概念を持っている人が数多くいるからです。SNSで手軽に作品をリリースできる時代だからこそ、もっとフランクに芸術と向き合ってもいいと思います。

コラージュのおもしろさをもっと多くの方に知ってほしいし、自分の作品の知名度が一緒に高まったらいい。これからも、楽しみながらコラージュを作っていきますよ。

自称・批評家に告ぐ。芸術はいつだって認めるべきものだ

アーティスト、クリエイター問わず、作品に必要なのは想像力だ。そして人は想像力を意識ていにセーブしてしまう。「作ろう」とプロットを考えた時点で、その作品は脳内の完成形を超えることはない。

先人たちはあらゆる仕掛けで想像の枠を超えようとした。白紙のキャンバスをそのまま作品として出展する者もおれば、音の無い音楽を作った者もいた。それを「ずるい」と考える人もいるだろう。しかし、そもそも芸術に批評する余地などあるのか。中村氏が語る通り、アートはそんなに難しいものではない。もっと多様性を認め合っていい。だから時代とともに可能性が広がる。

中村氏は、コラージュの可能性を広げていくという。それはアートに対する問いかけであり、もし成功すればシーンに一石を投じることになるだろう。そこからまた新たな表現が生まれる。アートの歴史のすべては認めることから始まるのである。

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