暮らしに、もっとサブカルを。アンダーグラウンド総合WEBマガジン

音楽イベント”現場主義”を作り上げたイベンター ヨシダワタル

MUSIC

2019.6.6

思い出の地新宿ACBで”現場主義”というイベントを打つヨシダワタル氏。

そんな彼のイベンターとしての生き方と、その様々な経験と思いを今回はまとめてもらった。

現場主義

photo by  TERU(@ttetteteru)

ある意味カウンターパンチ

ぶっちゃけた話、イベントは全くやる気が無かったんです。

大学2年の頃からライブハウスに遊びに行くようになって、当時はありがたい事に別のやりたい事を平行でやらせて貰っていたんですけど、それでもライブハウスに出会った当時の自分の中では、それこそ初期衝動って言うか、初めて行った時の刺激が強烈すぎて、それからはもう生活の中心がライブハウスに遊びに行く事になっていました。

就活は一応したんですが、したと言っても大学卒業1ヶ月前にちょろっとやって、自宅から割と近所の職場から内定を貰って働くんですが、働き出して3ヶ月くらい経った頃にそこの上司から「(ここの職場)窮屈でしょ?なんだか最近息苦しそうだもん。」って言われちゃって。(笑)

それでそのままその職場は辞めました。その後の職探しなんですが、大学在学中に就活をほぼしなかった理由と同じで「今夢中になっている事があるのに、それを絶って別のやりたい事を見つけるなんて出来ない」って言う気持ちが強くあって、どうしてもやってみたい仕事がなかなか思い付かなかったんです。ただの子供ですね。笑

だけどその辞めた職場の上司が洋楽好きで、学生の頃はフジロックに行ってたような人で「君には音楽系の仕事が面白そうだろうね」って言われたことが、どうも心の中に引っかかって、それで当時の僕は自分の人生を面白おかしくしてくれたライブハウスに出会わせてくれたバンドに恩返ししようって思いで、音楽関係の現本職に就いたんです。

僕をライブハウスの世界に没頭させてくれた音楽は、メロコアです。職場が新宿なので、メロコアファンにとって聖地である新宿ACBというライブハウスがある街です。

自分がメロコアシーンにとって大事な場所だと思っていたから、恩返しって意味を持って音楽業界で働くならどうしても「新宿」という街で働きたかった。

でも僕が今の職で働き出した頃に1度閉まっちゃったんです、新宿ACBが。ただ大好きなライブハウスだったから、悲しかったですね。当時はこれからの関東メロディックシーンがどうなるんだろうって不安しかなかったですね。

それから少しして新宿ACBが復活したんです。でも復活した当時ですら、まだ自分にはイベントやりたいって発想はなかった。だけど今の本職で働く中、いろんなキッカケがあって、今までステージで見ていたバンドと色々と話たり、仕事をしてみた中で、どのバンドからもずっと共通で聞いていたのは「CDを聞いて、ライブに来て欲しい」と言う事でした。

ああ、やっぱりライブなんだって確信しましたね。その確信は今の職に就く前から抱いていましたけど、この世界に飛び込んでみた結果、どのバンドからも言われてみて、それがさらに強く確信できました。

そこで自分がもともと持っていた探究心が功を奏してなのか「いつかイベントでライブの良さを自分なりに伝えてみよう」と思い始めました。

で、ある時に職場から「ライブイベントやってみないか」って話が来て、それがある意味で背中を押す形で遂にイベントを始めるんです。なので実は最初のイベント、自分が働いていた職場絡みでやったんですよ。

当時は本当に嬉しかったですね、ついにこの街で働き出した意義が実ったって思っていました。そしてすぐに新宿ACBに連絡しました。

その話が来た当時は、ずっと本職でお世話になっていた方が新宿ACBに復帰したって形で働き出したタイミングでもあったので、タイミングとしても最高でしたね。

新宿ACBは自分がよく聞いてたメロコアシーンにとっては大事な場所だと思ってたから、イベントをやるならどうしてもそこでやりたかった。

新宿ACBで自分が好きな音楽を少しでも後押ししたいなって。そしてこの1回だけで終わらせずに、定期的に職場絡みで開催出来たらと構想していました。

だけど、それがうまくいかなかった。

じゃあそれなら自分主催でやろうって発想になって。その1番最初のイベント主催の話を持ち寄ってきた職場の人間がほっとけないようなものにしたいって気持ちでやってやろうって反骨精神で。だからある意味のカウンターパンチくらわせてやりたいなって思ってます。

photo by  TERU(@ttetteteru)

タイトルに意味なんてないです

正直「現場主義」っていうイベントタイトルに、特に意味はないです。

あ、でも今言うならばイベントを立ち上げた”当時には”特に意味はないって事になるかもです。

なんでこんなタイトルになったかと言うと、まずライブを何より伝えたかったのと、イベント名がシンプルで印象強いものにしたいなって最初考えてて。そこから「ライブハウスって現場じゃん!」ってなって、最初は全てカタカナ表記の「ゲンバシュギ」に一度たどり着いたんですけど…なんかしっくり来なくて。(笑)

そこから日本人だし漢字も使いたいなって思いと、当初の構想で”シンプルで印象強い”っていう考えから「じゃあ四字熟語で行くか!」ということに自分でたどり着いて「現場主義」が生まれたんですが、それでも優柔不断でオールカタカナも何だかんだ捨て難くなって…(笑)

1番最初の現場主義に出てくれたバンドの子に相談もしましたね、どう?って。(笑)

そんな経緯でつけたイベントタイトルなので、立ち上げた当初は特に意味はなかったんです。

でもそこからやっていく中で、出演してくれたバンドや来てくれたお客さんが「現場主義って言葉いいよね」って言ってくれる事に、面食らった自分がいて。

自分が無我夢中でライブハウスへ遊びに行ってた頃は、ただ単にそこへ目当てのバンドがいたから行くって発想だったので“イベントタイトル1つで、少しでも考えるきっかけがあるんだ”って僕は感じました。

僕が大事にしたいなって思うのは、その少しでも物事を「考えてみる」って事です。今SNSの時代になってきて、どうも表面的に希薄な世の中になってきた感じがするじゃないですか。その中でいろんな情報がある中で、じゃあ自分が実際やってみて考えてみることが大事かなって思うんです。

しっかり自分の主観にしていくって言うんですかね。僕は間接的に物事を捉えるよりかは、しっかり直接的に自分の目で物事を捉えていたいので、いま現場主義には根底にこの基本テーマがあります。

photo by  TERU(@ttetteteru)

 

この「考えてみる」タイミングはいつでもいいと思うんです。例えば、もしその時思いつかなかった、考えてみる事が出来なかったらそれはそれでしょうがないと思うし、でもいつかふとした時に思い出してああだったなぁとか、それこそ当時はこんな事思っていたけど今はこう考えるなあとか。

ただ、基本的にはなんでもあり。正直こんな堅苦しいことを念頭に置いてライブハウスに行きたくはないですね、僕は。支離滅裂ですけど。(笑)

でもさっき言ったようにどっかしらのタイミングで、いつかの出来事の振り返りのキッカケって突然来るじゃないですか。そこでちょっと「考えてみる」、要は自分なりの理由を探ってみるってことが大切だと思ってます。なんでこんな事を思ってるんだろうって事からでもいいと思うので。

それに現場主義って言葉は、たくさんの可能性を持ってるって最近思ってます。例えば「今回はこういう現場だから」と言う事で、内容とイベントタイトルはいつでも順応できる。もちろんブッキングの内容は毎回違うし、来るお客さんも毎回違う。それぞれの生々しい現場のリアル感を伝えたい僕にとっては無限の可能性秘めてるんですよね、現場主義って名前。

その都度の現場主義に関わってくれる人たちが、それぞれの現場主義って言葉の下に、それぞれの「現場主義」の意味、意義を持って一夜を作ってくれてる。我ながらあの時カタカナにしなくて良かったなって思ってます。(笑)

photo by  TERU(@ttetteteru)

現場主義初舞台

思い返してみれば、ほんとにただ単純に必死でしたね。とにかく必死でした。初めてやる事だったから、もちろんワクワク感もありましたけど、正直不安の方が優っていたと思います。

必死だからこそ、当日ギリギリになって僕としては良かれと思ってこんな風にやってみたいんだけどって出演バンドに提案してみたんですが、それが裏目に出てしまったりとかありました。改めて何かを作るって難しいって思った瞬間です。

ちなみにその現場主義の初舞台というのは2017年の3月23日。そこから今まで突っ走ってきて(この取材を受けたのは2019年4月中旬)約2年の間に現場主義を中心にその他派生企画も含めたら全部で34本。量より質、結果より過程派なのですが、自分でもこんな本数をよくやったなと思います。(笑)

ここまで回数を重ねてくると、一般的にはおそらくマンネリ化が生じてくるかと思うんですけど、僕にはそれが無かった。

それが何故なのかってことを今ここで自己分析してみると、それは恐らく同じイベントを作り続けているという「実感」が僕には無かったんです。

それってどういう事かと言うと、さっき言ったようにブッキングの内容は毎回違うし、遊びに来てくれるお客さんも毎回違う。

要は同じイベント、同じ夜は2度と無いんです。同じバンドを呼んだとしても、その時その時でどんなことをバンドに思いを自分が馳せるか違いますからね。

だからこそ面白いし、僕にはある意味でのイベントを作り続けているっていう実感が湧かなかったんです。だから気付いたら同じイベント名で、回数が重なってきたってだけですね。

イベントのためのイベント

photo by  TERU(@ttetteteru)

超現場主義・現場主義・縁(えにし)

今僕が作っているイベントは現場主義を中心に超現場主義と、不定期でやってる縁(えにし)の3つです。超現場主義は平日でデモバンドしか呼ばない、現場主義に繋げるためのイベントです。あとは僕が新しい音楽を発掘するための、色んなアーティストに出会うためのイベントですね。だからこその超が頭に付いた現場主義です。

縁(えにし)は、読んで字の如く「縁”えん”」をテーマにした、不定期開催のスリーマン限定のイベントです。バンドとバンドとお客さんの縁結びを強く思った、現場主義の1つ先のイベントっていうイメージで作ってます。

現場主義をやり始めて7回目くらいの時に「イベントを続けるのであれば、この先が(現場主義の)ないとダメだな」って思ったんですよ。実際まだ1回しか出来ていませんが、その名の通り”縁があったら”またすぐにでも開催できたらと考えています。

また違う意味の「現場主義」

photo by  TERU(@ttetteteru)

新宿大傾奇 -シンジュクオオカブキ-

あとは先日初めてバンドと共同開催をした「新宿大傾奇 -シンジュクオオカブキ-」ですね。名古屋のFive State Driveというバンドと開催しました。

ある日、新宿ACBのスタッフさんに言われたんです「バンドと共同企画をやっても、現場主義は面白いかもね」って。それがどうも心に引っかかってて、その状態で彼らの下北沢ERAでの自主企画に遊びに行ったんです。

そこで確信しました「一緒に面白いことをやるなら、彼らと演りたい!」って。その日終わってすぐに、彼らにオファーしました。(笑)

元々彼らも現場主義に幾度か出演してくれているバンドで、その度にガッツリ爪痕残して行くんです。それは多分、今まで出演してくれたバンドの中で1番の爪痕だと思います。そこに彼らの下北沢ERAの企画の印象が後押しをして、一緒にやるならまず絶対にFive State Driveだって。

ちなみにドラムのYoshikiとは、かれこれ7、8年の腐れ縁でして、お互いが純粋なお客さんの頃からの付き合いです。そんな付き合いからお互いが発信者になって、共同開催するって事に個人的にはこれもある意味の「現場主義だな」と胸熱くなってました。

共同企画をするならば、どこか一線を越えたものにしたかった。まずはそこを第1に考えた結果が、まさかの深夜公演。(笑)

photo by  TERU(@ttetteteru)

 

そして新宿ACBが新宿区歌舞伎町にあるので、そこで奇抜なことをやるっていう事にかけてこの「新宿大傾奇」ってイベントタイトルになりました。

深夜公演ということもあり、当日どれだけの人が来てくれるのか、正直読めなかったんですが、蓋を開けてみれば大盛況も大盛況。大成功というより、革命的な1日になったと思っています。

最近のメロコアシーンのお客さんって一時期と比べてみたら、どうも少し大人しさがあって。別にそれを否定するワケではないのですが、揉みくちゃになるメロコアのライブで育ってきた自分自身としてはどこか寂しさがあった。

でもこの共同企画に関していえば、イベント全体がいい意味でぶっ壊れていました。まさに僕が求めるメロコアのライブハウスでした。そしてその日のラインナップもいい具合に世代を混ぜることが出来ていたので、自分がライブイベントを通して提供したいこと、全てがこの日にあったと思っています。

また、一緒に演ってくれたFive State DriveのTHE NINTH APOLLOへの所属が決定してから、初の首都圏内でのイベントであった事も個人的に嬉しかったですね。この革命的な一夜を、今後も定期的に根付かせていければというのも、今は1つの目標です。

イベンターとしての思い

それぞれの役目

僕はイベントに出てくれたバンド同士をくっつけるのがイベンターの第一の仕事だと思っています。キッカケ作りって言うんですかね。バンドとバンドの間に入るのがイベンターなので、その間に入るなら架け橋作って、なんなら新しい島まで渡してあげたいって事を常日頃意識してブッキングしてます。

大勢いるイベンターの中でオリジナリティーは必要だけど、でもオリジナリティーを意識して作ろうって思ってもなかなか作れない。まずは模倣から、そこに自分の持つパワーとか熱を加えたことによってオリジナリティーは生まれるものだから。

◯◯っぽいって言われても、何にもならない。似てる似てないとか言っていてもしょうがないんですよね。もう大抵のことはこの世では出来上がっている。その出来上がっている事柄の模倣からの延長で、新しいものが生まれていく。そこに目を向けなきゃいけないと思います。

ライブイベントって掛け算だと思っていて、例えば1つの限界値がある程度分かっていたとしても、他の要点が絡む事によって更に大きな数値になるかもしれないし、もしくはかえって逆効果になる事もある。その掛け算にはもちろんイベンターも含まれます。そのイベンターがいたからこそ作れるイベントがある、さっき言ったバンドとバンドを繋ぐ橋のような役目って事ですね。

バンドは人と人がやってるし、イベンターも人。人と人が作るイベントだから、奥が深いし、その時その時の化学反応が見えるから、イベントって面白い。イベント当日に「実は今回あのバンドと対バンするのが初めてなんです」って出演してくれたバンドさんに言われるのが、いま僕は1番嬉しい言葉ですね。

イベンターとしての今後

まずは現状維持ですね、ブレないっていう意味での現状維持です。イベンターは裏方業であるので、いわば縁の下の力持ち。さっきの橋渡しって意味に乗じて、土台がしっかりしていないイベントは、恐らく中身が無くなってしまう。

こういったビジョン、コンセプトで作ってたのに、それがどんどんズレていっちゃったり、妥協して変えていっちゃうようなことはしたくない。

最初に持ったテーマと、初心というかある意味の第一印象をいつまでもズラしたくないです。というか、裏方が立ち上げた声に集まってくれたのに、それがブレちゃったらバンドはどこについて行けばいいんだって話ですよね。(笑)

そしてもう1つ。”新宿ACBソールドアウト”を目標にしてます。たまに「いつまでACBだけでやるの?」と聞かれるんですけど、お世話になっているホームのハコでまだSOLD OUTって結果を出せてないのに、外に出るって違うかなって思うんです。

ただ単に自分が新宿ACBが大好きって理由もありますけど。(笑)でもやっぱりまずは、やり始めた場所でソールド。それができない限りは、個人で他のハコで企画を打つ必要は無いと思ってます。それこそ「ブレない」って事ですね。

ここ(新宿)で新しい音楽シーンを作りたい、好きな音楽を応援したいって思って始めたことなので。

もし今後、新宿ACBソールドアウトできたとしたら、個人的に最終到達点は新木場スタジオコーストで何かやりたいと思ってます。

あとは渋谷O-WESTでもやってみたいです。やってみたいというか、挑戦ですね。なんかO-WESTって完全に個人的な憧れなんですけど、僕自身あそこに見に行ったライブってどれも忘れられない思い出が多くて。話聞いてみるとバンド側もそういう思いがある人が多くて、やっぱり少し特別なんだなって。

なのでいつかO-WESTでバンドと一緒に勝負して、スタジオコーストで思いっきりバンドと楽しめるようなバンドへの大感謝祭を開けたらって今は考えてます。

”現場主義”

「そこまで深く考えずに、自然体が良いです。」と遠慮がちに笑う彼だがイベントに出演してくれるアーティストの今後の活動すらも考える姿勢は、イベンターとしてあるべき姿であると感じた。

スタッフはもちろんアーティストやイベントに足を運んでくれるお客さんが1つになりより良いイベントを作る。

そう語る彼のブレない芯の通ったイベントと彼自身に今後も目が離せない。

INFORMATION

ヨシダワタル Twitter

RECOMMENDこの記事もオススメ