かつて横浜は、アメリカのカルチャーが日本に入ってくる港だったとご存知だろうか?
カルチャーの仕入れ場所であったここ横浜に今年オープンした「DENT clothes repair shop」
街の洋服の直し屋さんとして親子二代にわたり長年親しまれていたが、今年横浜へ移転。
同時に始動したアパレルブランド「BIGWIDEDENT」について、彼の感じてきたストリートへの想いを語ってもらう。
親子で直しあげた洋服のリペア
父親が忙しい時に小遣い稼ぎの感覚だった
小さい頃はあまり父親が帰ってこなくて、東京で仕事してるって事くらいしか知らなかったんだ。元々父親が服の直し屋をやっていて、ちょっと父親が忙しい時に小遣い稼ぎと思って片手間で手伝ってた。
飽きっぽいし、特にこれがやりたいわけでも無かったんだけど。
そのうちに裾上げだったり幅出しだったり、簡単な仕事から教えてもらって、できる事が増えていった。
土地の割に他よりも値段が安かったし、住宅街でもあったから、まぁまぁ忙しかったかな。
やってくうちに、父親が何を思い立ったのか、新しく店を始めるからこの場所を出るって言い始めた。
作業場はビルの1階にあって、元々父親の知り合いが洋服屋をやっていた所を紹介してもらった場所なんだけれど、大家さんが最上階に住んでいて。
大家さんが家に行くには作業場を通ってかないと行けない造りになっていたから、安く貸してくれてたんだ。
それに今のお客さんもいるし、ここを出ていくのなら、俺がここでやれば良いやと思って一人立ちした。30歳すぎてからだね。
昔の服ってやっぱり造りがおもしろい
一人になってからは、わからないことの連続だった。とりあえず引き受けたけど、これはどうやるんだろう?って調べながら形にして。父親に投げても父親は父親で仕事があるから、何とか自分でやっていた。
お客さんもよくしてくれたし、結構任せてくれた。これ出来るかわかりませんよ?って言っても、「別にあんたなら失敗してもいいからやってみて」って感じで優しくて。お客さんに腕を磨かせてもらったって感じかな。
上手くいって喜んで帰ってもらえた時は、やって良かったなって思った。
昔の服ってやっぱり造りがおもしろい。今のファストファッションとは違って、結構手が混んでるんだよね。その分難しいんだけど。
たまに、これどの場面で着るんだよ?ってドレスや洋服があったり、燕尾服の丈直しとかもやったね。
フランチャイズをやるって出て行っていた父親も戻って来て、また二人でやるようになったんだ。
よくうちの店を使ってくれるおばあさんが、昔着てたけれど体に合わなくなったからって持って着た服があって。それは父親が直したんだけれど、やっぱり年と共に背中も曲がるじゃん?
父親は注文されてた以外にも、さりげなく背中の曲線に合わせて肩の位置とかを決めて、直してあげたの。そうしたらおばあさんの体を見ただけなのに、しっかり合ってて。
それはすごいと思った。なかなか出来る事じゃないなって。
もう着られないかと思ってたからって、おばあさんはすごく喜んで帰ってったよ。
ホームタウンの横浜にて再出発
父親が亡くなってからは、また一人でやるようになった。大変だったけれど、昔のお客さんは年を重ねても来てくれたし、新規のお客さんも来てくれた。だけどお店兼作業していたビルを壊すことになって、出て行かなくちゃいけなくなったんだ。
家が火事になって無くなった時もそこに寝泊まりしてたから、思い入れもあったんだけど。近場で探しても、家賃がとてもじゃないけど手が出せない。
そこで我がホームタウンの横浜で、再出発することに決めた。
前のお客さんは流石にこっちまで来れないから、申し訳なかったんだけど。
やっぱ横浜なら中心で、駅から歩いて来れる距離にないとと思って今の場所にした。お客さんもゼロの状態からのスタートだったから、結構大変。いや、結構どころじゃない。
新参者だから、まずはご近所の人と仲良くならないとと思って。ちょうど1月からお店を移したから、雪かきで大活躍して溶け込もうとした。第一弾雪かき大作戦。
だけど今年、そんなに雪が降らなかったよね。しかもそこの狙ってた路地、まぁ積もらない。
道具まで買って準備万全だったんだけど、大失敗だったね。
今でも模索しながら、知り合いや洋服屋さんの直しをしている。早く地域にも馴染みたいなものなんだけどね。
次の策を考えなきゃだな。
遊びから始まったブランド「BIG WIDE DENT clothing」
傷ついてるものの方がカッコよかったりする
新しい場所に移したし、前からまた動きたいなぁと思っていたブランドを、これを機に再始動させた。
元々はライブハウスで知り合った仲間のバンドのシャツを、手刷りし始めたのがきっかけ。仲間のバンドのヤツと2人で、前の店の作業場を使って遊びでやってたんだ。
バンドのTシャツに、なんかちょっとやってみるかって、軽く文字を入れたりしてさ。
「DENT」は英語で凹みとかって意味で、車のヘコんでるところや、スケートをやった後の段差とか、キレイでピカピカしているよりも傷ついているものの方がカッコよかったりするなぁって思ったのがブランド名の由来。
ライブハウスもすごくキレイなトコロより、汚ない方がなんか良いじゃん?
それでちょこちょこ自分のバンドでもTシャツを作ってたんだけれど、バンドのCDよりも全然Tシャツの方が売れてたな(笑)
バンドも結構やってたし、というか今でもバンドの事は全部俺がやってるし、お店もあったからあまり時間も取れなくて、流れてっいったんだけどね。
これが良いタイミングだったのかはわからないけど。友達の力も借りつつ、お店と同時進行で。
ショップ兼作業場みたいに
今までは簡単な事しか出来なかったんだけれど、友達が助けてくれて、プリントも色々出来るようになった。
パソコンが使えないから、デザインの荒さを出すためにコピーを何回も重ねてその感じを出したりしていたんだけど、今はスマホをちょっと使えるようになったからね。それで作ったりしてる。
今のところ2作しかないけれど、これからドンドン出したいし、形も少しずつ変えていきたい。タグも自分で作って付けてるしね。
なんとかちゃんとしてる。ブランドの方も、始まったばかりだけど。
バンドもあまり出来てないしね。少しずつBIGWIDEDENTもアピールしていきたい。
古着をリペアして遊んでたりするから、それも一緒に出したりして。
ここも広いし、今はショップ兼作業場だけれど、ゆくゆくはもっと色んな使い方が出来てもいいかな。
REDKAPのワークパンツの裾って、ちょっとDickesとは違うじゃん?そういうのも対応できるし、新しくブランドを始めた人で、タグを付けたい方や
バンドTをワンランク上にしたいって人にも是非来て欲しい。
そのためにも、もっと街に繰り出さなきゃな!
今はまだ始めたてだから、どこかで出店させてもらったり、今出来ることはなんでもやらないとヤバいと思って感じているのでどんどんアピールしていきたい。
自分の中にあるストリート
遊ぶトコそこら中にカルチャーがあって
フライヤーやステッカーが街に色々貼ってあって、なんだこれって。街に情報があふれてたし、遊ぶトコロそこら中にカルチャーがあった。
色々なものに触れて、刺激を受けた。
スケートだったり音楽だったり、ファッションもそう。横浜がそういう感じだった。
バンドを始めて地下のシーンにどっぷりハマったけどれど、いきなりは受け入れてもらえなかった。そこでもう一回minor thereatとかのカバーをやってみたんだよね。
そうしたらみんな受け入れてくれて、仲間が増えてっいった。Ian Mackayeすげぇって(笑)
スケートもしたし、ライブハウスにも行った。飲み屋に行く金もないから外で飲んだりね。
やっぱり遊ばないとだね!そこから何か浮かんだりするし。
思えば最近遊んでないからかな、刺激がないんだよな。
ストリートって若者だけの言葉じゃない
世の中とズレているのかもしれないけど、ストリートって若者だけの言葉じゃないなって思う。よく最近もストリートって言葉が、また使われているじゃん?
若者が中心と思われてるかもしれないけど、そこを歩いてるおじいちゃんおばあちゃんだってストリートだと思うし、みんなストリートで生きているんだよね。
それはすごく感じるなぁ。
あまり良いイメージはないかもしれないけど、ストリートって、これだけ根強いのはそれだけの良さがあるからで。
俺が今まで出会ってきたものも、そうなわけだし。
だから俺も、おじいちゃんになってもストリート。かっこよいストリートでありたいし、いたいな。
ホームタウンでの再出発
洋服の直し屋さんとして父親の意志を引き継ぎ、これからも続いていく。彼の決意の元、横浜で。
ストリートで遊んできたからこその彼があり、その想いを洋服に込めて、これからも繋いでいく。
今でもここ横浜がカッコよくあるためにも、絶やすことなくもっと繋がっていかなくてはいけないのかもしれない。
ぜひ横浜に来た際は立ち寄って行って欲しい。
- INFORMATION
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DENT clothes repair shop/ BIG WIDE DENT official store
ACCESS:横浜市西区浅間町2-101-9ライジングビル301
TEL:045-298-6042