見る側を幸せにする、恵比寿さまのような笑顔。大正・昭和の浪漫を感じさせるレトロなファッションセンス。「自分の顔で生活している」と語るのが、みしゃむーそだ。
顔をプリントしたグッズの販売や、モデル、パフォーマーとして活動している彼女。その肩書きは「顔面アーティスト」である。おそらく世界でただ1人だけの職業をしながら生きる彼女は、なぜ現在の活動に至ったのだろうか。
自由な環境で育まれた「好きなことを極める力」
転機はお笑い好きの友だちに出会ったこと
小学生の低学年のころは、割とおとなしい子でしたね。クラスでも決して目立つタイプじゃなくて、かなり地味な子だったんです。
転機はお笑い好きの友だちに出会ったことでした。
そのころはお笑いブームだったんですよね。ネタ番組が多くて、クラスでも芸人の話題が多かった。
友だちと話すうちに、私もコメディに興味が出てきたんです。学校終わりにお母さんと新宿のルミネで若手芸人のライブを見るようになりましたね。すると校内でもだんだんと明るくなっていって、6年生では運動会の応援団長をしました。
中学でも変わらずお笑いにハマっていて。特にラーメンズさんが好きだったんですよ。よくコントを真似してました。
コントから派生して演劇にも興味が出てきて。舞台と簡単な設定だけを決めて、友だちと即興でお芝居してたのを覚えてますね。
なかでも「なり」っていう遊びがお気に入りでした。
「OL」とか「おばあちゃん」とか、何かになりきって一日中過ごすっていう(笑)。
「フランス人」になりきってたときに、友だちが私のことを「みしゃむーそ」って呼びはじめて。その名前を今でも使ってます。よく考えたら、もっと演歌歌手みたいなかっこいい名前にすればよかった(笑)。
縛られずに自分を表現できるのは楽しかった
高校はかなり自由でした。校則がなかったんですよね。
特に嬉しかったのは私服だったこと。ファッションは自由だと思っていて、制服っていう文化が好きじゃないんですよ。
縛られずに自分を表現できるのは楽しかったですね。あえて、ドン・キホーテで買ったコスプレ用の制服で通ってたりとか。
それと珍しく「いじめ」がまったくなかったんですよね。
クラスにはギャルっぽい子もいたし、オタクっぽい子もいたけど、それぞれが自分のコミュニティに属してました。
奇抜な格好をしても、普通にみんなおもしろがってくれるんですよ。人の目を気にしなくてよかったので、伸び伸びとファッションを楽しめました。洋服への興味が高まった時期でしたね。
好きなことを自由に追求した結果、高校3年生のころには多趣味になってて。なかでもファッションはもはやライフワークだったんです。
演劇を観るのも好きだったので、劇場に通っていましたね。だから進路を決めるときにかなり悩んだんですよ。服のデザイナーか、女優か、芸人か……。
いずれにせよ「好きなことをしよう」というのは決めていました。
学歴だけで進路を決める気はなかったんですよね。家族や先生も私の選択に賛成してくれた。思い出すと、小学校から自由な生き方を選べる環境で過ごしてきたなぁって。
自由な姿勢が生んだ、唯一無二の職業
私は最後の写真撮影が好きだった
大学では服飾の四年制大学に入学しました。
課題ではデザインから作図、布選び、縫製、スタイリングと、1人で全工程を手掛けるんです。最後に自分がモデルになって、作った服を着て写真を撮るのがゴールでした。
学生は全行程を経験したうえで、自分がイチバン楽しめる仕事に就くんですよね。デザインが好きだったらデザイナーだし、縫製が好きだったらお針子さんになります。
私は最後の写真撮影が好きだったんです。
周りの友だちは、白い壁の前でポーズも決めずに撮るんですよ。それが嫌で、メイクやヘアアレンジも服に合わせて作っていました。その後、服が際立つ場所に移動して、しっかりと写真を撮る角度を決めて撮影をしてたんです。
構図とか演出を考えるのが好きでしたね。だから写真を撮られる仕事に就こうかなって。シンプルにそれだけですよ。
周りからは「やばい。そんな人いないよ」って
大学2年生のころ「装苑」という雑誌に、スナップを載せてもらったことがありました。
理由を尋ねたら「カバンがおもしろいから」って言われて。自分の顔写真をプリントして縫い付けていたんですよね。私はオシャレかなと思ってたんですけど、周りからは「やばい。そんな人いないよ」って。
それで「自分の顔でグッズを作るのって面白いんだ」と気付きました。
ちょうど被写体に興味があったので、顔をプリントしたグッズを作ってみたんです。缶バッジとかTシャツを作ってイベントで発売したらかなり好評だった。「いけるかも」って思いましたね。
あと「誰だよ」っていう存在が昔から好きだったんですよ。
例えばフォトフレームに見本として入っている外国人の写真とか。「こいつ、誰だよ」って思ったら、笑えてくるんですよね。そういえば小学生のころから、音楽番組ではバックダンサーばっかり見てました。
そういう掴みどころのない存在には、ちょっと憧れてますね。居酒屋のトイレに入って、私の写真が飾ってあったら「いや、誰だよ」って思うでしょ。その光景を想像したらおもしろいなぁって(笑)。
やりたいことを自由にやってたら、今の状況になった
就活生のころにアパレルのデザイナー職と販売職を受けたんですけど、なんか違うなぁって。
職に就いてしまうと、自分の表現をする時間がなくなるだろうなって。それで今の活動を続けてみようって思ったんです。
自分のグッズのデザインと販売、写真のモデル、歌ったり踊ったりするパフォーマー……。いろんなお仕事を受けていて、自分でも肩書きが分からなくなっていますね。
デザイナーではないし、モデルでもダンサーでもない。
一応、メディアに出るときは「顔面アーティスト」って名乗ってます。自分の顔を使ってものづくりをしているんで。
肩書きってお仕事をいただくうえで大事だなって思うんですよ。何か武器がないと、イベントとかメディアにも呼びづらいでしょう? でもやりたいことが多いんですよね。デザインの構図を考えるのも、写真を撮ってもらうのも楽しい。
やりたいことを自由にやってたら、今の状況になった感じです。
「ミスiD2019」でインバウンドアイドル賞を受賞
欲を言うと志茂田景樹賞がほしかった(笑)
2018年の11月に講談社さんが主催する「ミスiD2019」っていうオーディションで賞をいただきました。
その名も「インバウンドアイドル賞」です。「東京オリンピックで世界を迎える日本の『最終兵器アイドル』賞」という意味らしく、本当に嬉しかったですね。
実はミスiDには2017年と2018年にも応募していたんですけど、書類選考で落ちちゃって。でも今年は審査員に憧れの志茂田景樹さんがいたから、絶対に受賞したかったんです。
だから欲を言うと志茂田景樹賞がほしかった(笑)。
でもブログで志茂田さんが私のことを「タレント性に富んでいて、存在自体が才能である。いつかバラエティー番組などで活躍するでしょう」って書いてくださって、本当に感動しました。
ミスiDをいただいてから、ネット配信の番組にも呼んでいただいたんです。別の番組への出演も決まっています。まだ事務所にも所属していないんですけど、メディアに呼んでいただけることで自分の顔をたくさんの人に見てもらえるのは嬉しいことですね。
これからは女優さんになりたいなって。
高校生のころからお芝居はずっと観ていたので、本気でやってみたいなぁって思ってるんです。肩書きも必要ですしね(笑)。
どこまでも自分を愛する、だから魅力になる
「圧倒的な自己肯定感」。
そこにこそ彼女の非凡な才能がある。今の自分を認め、個性を信じるからこそ魅力が生まれ、周りの目を惹く存在になるのだ。ときに笑顔を見せながら、堂々と話す彼女からはすでに大物のオーラを感じた。
「幸福」を体現するような笑顔と、エキセントリックなファッションセンス。彼女の持ち味は一層光り輝くに違いない。活躍の舞台は、銀幕でもバラエティのひな壇でも、どちらでもいい。唯一無二の存在「みしゃむーそ」として、多くの人から注目されるはずだ。
2020年の東京オリンピックとともに、大輪ならぬ五輪の花を咲かすのか。彼女の今後に注目である。
- INFORMATION