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PUNK RULES OKAY! RNR TOURS 脇田涼平

MUSIC

2019.1.15

変わりゆく時代とともに、流れる音楽も変わってきた。あの頃は良かったと思う人も多くいるはずだ。

インターネットがほぼ全世界に普及した現代において、音楽シーンもまた確実に強く熱く、進化し続けている。かつては得難かった情報も、今では容易に、たくさん得ることができる。同時に様々な繋がりも増えた。恵まれた時代である。

アナログとデジタルの両方を兼備し、「古き良き」を大切にしつつ、新しいことに挑戦・発信し続ける脇田氏。海外バンドのジャパンツアーのプロモーターとして、数々のバンドを招集し、成功を収めて来たRNR(ロマンティックノビタレコーズ)総裁を務める彼のルーツを探る。

音楽の虜になった小学生

どんなバンドなんだろうってブックレット読み込んでて

学校の友達の家で、その子のお兄ちゃんが持っていたB’zのCDを聴かせてもらったり、その家にあったギターを触らせてもらったりして、「カッコ良いな〜」って思ったのがロックに触れた最初の記憶。小学5年生の頃かな。同じ頃、叔母の部屋にあった小さなCD棚から、初めて手に取った10枚くらいのCDのうちの何枚かが、今も精通しているロックやパンクでしたね。

それから、中古CD店で色々掘り下げてCDを買っていました。聴きながら「どんなバンドなんだろう」ってブックレットを読み込んでましたね。スペシャルサンクスのとこに書いてるバンド名をチェックして、想像膨らませて。そんな小学生時代を過ごしました。

学区外の中学校に進むことになって、新しい友達ができるか心配でした。そんなに明るいキャラでもなかったので……。でも逆に、「友達を作らずに、自分のやりたいことや好きな事をとことんやってやろう」みたいな、謎の気合もありました。そんな感じで、ギター弾いたりとかもして、「音楽」っていうのにもう、どっぷりハマっていきましたね。

自分で音楽を作って発信する楽しさもすごい感じてました

様々な音楽を掘り下げていくうちに、「殺害塩化ビニール(日本のインディーズレコードレーベル)」と巡り会ったんです。日本のアンダーグラウンドのCDを通販で買って、親に内緒で郵便の配達員さんから受け取って笑 当時所属していたサッカー部の友達に貸したら、過激ネタが面白くて一気に学校中に広まって友達いっぱいできました(笑)奇跡的なキッカケでした、ありがとう毒殺テロリスト! (殺害塩化ビニールのバンド)

「じゃあ俺たちもなんかこういう狂ったバンドやろう」と盛り上がりが加速して、中学2年の部活合宿の時に、ノイズバンドみたいなことを始めたんです。テープレコーダーを僕が持っていって、オケは声で、リズムは手拍子や机叩いたりして。ハーモニカ吹いて、汚い言葉を叫ぶ歌を作って。

その後もサッカー部を中心にやんちゃなガキをいっぱい集めて、20人くらいでバンドみたいなのをやってました。休み時間に、トイレの個室にみんなで入って、テープレコーダーで中二病的な鬱憤をがーっと叫んだり。

当時、muzie (ミュージー:音楽配信サービス、今は閉鎖)っていうアマチュアミュージシャンが音源をアップできるサイトがあったんですが、そこのMP3をダウンロードできるページに、録った音源をいっぱいアップしてたんですよ。今みたいに簡単にアンダーグラウンドの音源を掘り下げられなくて、muzieがその拠点みたいになってました。そうしたらノイズやアングラフォークを扱ってるレコードショップが、CDを入荷したいって言ってくれて。それで自分達でCDを作りました。

作ったCDを送る為に、初めて「レーベル」を作ったんですよね。ただレーベルって言うほどしっかりしたものではなくて、僕たちが作ったガラクタ音楽を発信する拠点みたいな形でHPを作って、CDを載せて売ったりしてたんです。

「ラリベラーズ」という中学生ノイズ集団や、他にも色んなジャンルで、色んなユニットを自分達で立ち上げて発信してました。思いのほか「中学生が変なことやってるぞ」みたいにパンクシーンの大人から反響がありました。

レーベルの真似事を始めてみると、見知らぬ人との繋がりも増えていきました。インターネットで知り合った人からCDや昔の音楽雑誌を送ってもらったりして、アンダーグラウンドなものとかを知り、紐解き、その楽しさを知ることがたくさんできました。『あぶらだこ』っていうバンドが一番衝撃的でしたね。

同時に、自分で音楽を作って発信する楽しさもすごい感じてました。ずっと聴いてたのはパンクとかメロコアとかですが、やってることは意外とノイズとかスカムとか。そういう音楽が面白くてやってました。

活動中には、雑誌の取材が来たりもしました。わざわざ僕が住んでた岐阜の田舎まで。ただ、その活動が過熱しちゃって、学校にバレちゃったんですよ。YouTubeとかに町で暴れてる動画をアップしたり、ちょっと言えないこともあったりとか。そこでバンドの熱みたいなのがちょっと冷めて、そのままその活動を辞めてしまいました。

ただ、ノイズのCD作って売って、少なからずこんだけ売れたぞっていう経験と、試行錯誤して、HPの作成から現金書留のやり方とかまで、色々得た知識を思うと、いい体験できたなと思います。

色んな音楽を知ったりして自分の欲求を満たすみたいな

家にパソコンがあったので、テレビ番組内の芸人の対戦成績をもとに、エクセルで勝率を計算して楽しんでたりしてた時期があったんです。おかしな性格だと思うんですけど、そういうのをアーカイブしたりするのがとても楽しくて。親もエクセルの使い方を教えてくれて、そこでパソコンをいじる面白さを知りました。

インターネットで音楽情報も見たりしてたんですが、高校時代はmixiに登録して、色んなコミュニティーの大人たちと繋がって、色々教えてもらったりもしてましたね。

当時のインターネットルールやマナーって、今に比べると曖昧で適当でしたよね。mixiでマニアとコミュニケーション取って住所交換して、CDを送ってもらったり、CD-Rに焼いてもらったりできましたもんね。インターネットやSNSが新しい時代に突入していく時期に、多感な中高生時代を過ごせたのは、タイミングとして良かったかな。この時期のことが、自分が知っている色んな音楽とか、今聴いている音楽のルーツになってるっていうのはあると思います。

RNR(ロマンティックノビタレコーズ)の始まり

色んなアーカイブを、ブログって形で発信し始めた時期でもあったんです

漠然と「高校出たら東京の大学に行こう」と思ってましたね。音楽をやる為っていうのが大きな理由です。地元だと限界もあるし。

一人暮らしをさせてもらって、五反田の大学に通ってたんです。とりあえず大学の軽音サークルに入りました。バイトしながら大学行って、終わったらライブハウス行って、軽音サークル行って、みたいな日々をずっと過ごしてました。

それは同時に、今まで自分が好きでパソコンでしてた今まで自分が好きでパソコンでしてた色んなアーカイブを、ブログって形で発信し始めた時期でもあったんです。始めた時は、ポップパンクとかメタルコアを聴いてましたね。その後「ニンテンドーコア」(初代ファミコンのような8bit/Chiptune (ピコピコ音)を乗せたメタルコア)にハマっちゃって、それを紹介するブログをやってました。

ニンテンドーコアは、インターネットの中だけにしかなくて、それがすごい興味深かったんですよ。同じ感覚で「ヴェイパーウェイヴ」(Vaporwave;2010年以降、ネット界に広がったアンダーグラウンドな音楽ジャンル)とかSeapunk (シーパンク)とかが出てきた。これらは今のヒップホップにも影響があるし、繋がってる。アンダーグラウンド・インターネット音楽の今があるのは「ニンテンドーコア」も影響していると思っています。

当時はパンクもメタルも全部ある「Myspace」っていうサイトで、友達同士になって色んな音楽を紐解いていってました。あの時はそういうストリーミングサービスの始まりとかの時期ですよね。ほんとインターネットの中だけで音楽を掘り下げる事が成立し始めてた時期。

「Myspace」の他には、「PUREVOLUME」もそんなサイトですね。「Audioleaf」も「musie」もまだ当時はあった。You Tubeもあったし、インターネットで聴ける音楽がどんどん増えていった時期だったと思うんですよね。違法で聴けるサイトも結構ありましたね。おかげで色々知ることもできましたね。

中学生の時にやってたレーベルとまではいかないですけど、海外のポンコツなニンテンドーコアバンドのCDを作って出してみようと思って、新しいレーベルを始めました。「ハローキティスーサイドクラブ」とか、そういう名前がキャッチーでインパクトあって、刺激的で面白いなって思ってた時期でもあり、「Romantic Nobita Records」っていう名前で始めました。

ただそれは上手くいかなかった。誰も買ってくれないし、自分が紹介したところであんまり反響もない。どうしようかっていう時期に、その時よく聴いてたポップパンクの紹介を始めてみたんです。

ちょうどその頃、After Tonightっていうバンドが初台WALL(東京のライヴハウス)とかに出てたんです。そこで彼らの音楽を紹介したりとか、他にも日本のポップパンクのバンドを紹介したりとかしてました。ライブハウスで出会った人たちと交流し始めて、その人達を紹介するビデオを録ってYouTubeに載せたり、インタビューしたりし始めていた時期でした。

ポップパンクを紹介していくうちに海外バンドも紹介して、その海外バンドを入れて編集したコンピレーションアルバムを、「bandcamp(アーティストが自分で音源やグッズを販売/購入できるサイト)」で作りました。英語のテンプレートを翻訳ソフトで作って、海外バンドとコンタクトを取ったっていうのが今のRNR TOURSに繋がってくる最初のアクションでした。

搬出する様子をずっと眺めてたら、ちょっと手伝って。って

インターネットで、インドネシアのポップパンクを調べてる時に、「Pee Wee Gaskins」っていうバンドが来日して無料ライブがあるのを知り、観に行ったんですよ。そこで直接メンバーのドチ(B)に会ったときに「俺明日サマソニに出るんだけど来る?」って誘ってくれて。翌朝そいつのホテルに行って、車に乗せてもらってサマソニに連れてってもらいました。

そこに至るまでも、すでに海外バンドとコネクションはあったんですが、その体験は強烈だった。ドチに「また明日観たいバンドがあるから一緒に行こうぜ」って誘われて。ドチが誰かに会いに行く時も、僕ずっと一緒にいたんですよ。

その日はNAMBA69のライブを観に行きました。機材の搬出作業をずっと眺めてたら、クルーの人に「ちょっと手伝って。」って言われたんです。「ちょっと手伝ってほしいことあるから、明日ここ来て」とか、「このライブがあるからちょっと物販やって」とかも言われて。それでチームに付いて行くようになりました。とにかく現場に行ってみよう、と。バイトで「雑務をやるスタッフ」として、よく分からないまま、お手伝い感覚でNAMBA69/Hi-STANDARDのチームで働き出しました。

クルーの人はすごい忙しくて、24時間働きっぱなし。追いつかないくらい。一緒にいるようになって、僕も次第にデザイナーとやりとりしてデザインを作ったり、フェスの物販部門のチームマネージャーみたいな感じで企画させてもらったりもしました。そして、僕自身もその時は、海外バンドを呼び始めた時期でもあったんです。

そこで働けたことっていうのが、全てに活かされてる

自分の音楽活動もしながら、チームに同行させてもらうことができるのが、とにかく僕はもう超嬉しくて。大学に行って授業中に会社の仕事して、そのまま会社に行って夜中まで仕事。その後色々音楽聴きながら仕事して、ブログ書いて……っていう日々がずっと続きました。

小学生の頃から聴いていた、メロコアのスーパーヒーローと一緒に過ごした時間っていうのは、めちゃめちゃ貴重でした。チームのリーダー像や、チームクルー間のバランス感覚など、あらゆることが今の全てに活かされてます。

2年間ずっと24時間チームのボスの下で働いてました。そのチームやバンドも色んなことに挑戦し始めた頃で、「契約書はこういう風に書いたほうが絶対いい」とか「こういうところで大変だったよ」みたいなコツとか、どうやって海外バンド呼んでるかとかも教えてもらいました。

ボス自身がやってたフェスや活動を間近に見ることができて、本当にいい時期に色んな仕事を勉強させてもらったと思います。日本のバンドともたくさん知り合うこともできました。

「僕がここにいていいのかな」「チームの足かせになってるんじゃないか」って後ろめたさもあったけど、チームの人達全員、そんな僕を受け入れてくれました。「年齢とかじゃない。色々知りたい、やりたいって気持ちがある若者の意見も聞きたいんだ」って言ってくれたんです。

僕が失敗しても、それを無駄にせず活かす方法や、戦略の立て方まで考えてくれて、成功に繋がるまで教えてくれました。また目標まで達せなかったとしても、ちゃんと評価してくれました。それにチームの一員として「役に立ったよ」って声かけてもらったのがすごい励みになりました。

ただ、何もせずヒーローになってるわけじゃないんだなっていうのも、影で見て分かりました。100の成功を成し遂げるために、1000の努力をしてる。そしてその1000の努力がチームワークで成り立ってて、全員の努力の成果なんだってこともわかりました。ただ僕がどう頑張ってもたどり着けなかったです、そこまで。

そのうちに自分で海外から呼べるバンドも増えてきて、そっちのほうが忙しくなっちゃったんです。それをそのクルーの人が見ててくれて、「こっちは助けてくれる時だけでいいからそっちやったら?」って言ってくれたんです。

以降、RNR TOURSに注力するようになりました。

自分達で作り上げる音楽シーン

海外バンドがきっかけに色んなバンドが来たいって言ってくれて

色々経験させてもらった後に、今みたいにRNR TOURSを本格的に始めたのがたぶん大学3年くらいのときですかね。

コンピを作って最初に呼んだバンドが、ポップパンクのオーストラリアのバンド。初めてやったイベントはポップパンクのイベントだったんです。ポップパンクの仲間ばっかりで。そこでイタリアのNo Blameがそのコンピの情報を聞いて連絡してきてくれたんです。ツアーをしたりもしました。

そうしたら「カナダのMUTEと知り合いだから紹介しようか」って、繋げてもらったんです。ただギャラが超高くて。バイトしかしてなくて全然貯金もない。これはもう人の助けが必要だってことで、色んなライブハウスやプロモーターの人に相談して、何とか実現できたんです。今のRNR TOURSがよく行かせてもらってるライブハウスの繋がりもそこで出来ました。

MUTEのツアーの時に一緒に出たいって言ってくれたのがキッカケで出会ったwaterweedには今でもお世話になっています。僕、そのツアー中に持病が原因で倒れちゃったんです。岡山で入院してしまったから、次の日三重、山形で運転する人がいなくて。ツアー中のメンバー移動の運転を急遽お願いして、すごく助けていただいたんですよ。ツアーファイナルが東京だったんですけど、無理矢理退院して合流しました。あのツアーはたくさんの出会いとキッカケを作ってくれました。

チームの仲間がいるからこそ成り立ってる

元々RNR TOURSって二人で始めたんですよ。僕が一人暮らししてた家の近くに、同じライブに通ってるけっこう年上の音楽仲間がいたんです。その人、ライブ録音できるカメラ持ってて、ライブハウスでビデオ撮ったりさせてもらったりしてました。

ただその人も仕事が忙しくて、いつの間にか僕一人が主導でやるようになったんです。僕の彼女がドライバーとか物販でツアーをサポートしてくれた事もありましたね。でも彼女も学生だったからツアーに来れない事も多くて、ライブで出会った仲間を新しくRNR TOURSに入れました。

一人より二人でやった方が上手くいくし、NAMBA69/Hi-STANDARDチームでの経験もあり、RNR TOURSも「チームワークでやりたい」と思ってました。チームメンバーを募集したりもしましたね。

それと、応募してきてくれた子と二人でツアーもずっとやってました。メンバーの出入りが多い中で、彼は一年くらいずっと気にかけてやってくれた、最初のがっつりクルー。彼の功績は大きいです。彼がいる間にもまた、たくさんの新旧クルーが助けてくれたこそ今があるっていうのをすごい感じてます。

今では自分の立ち位置と、チームのみんなが僕を分かって接してくれてるから、上手くやらせてもらってます。それも色んなチームの仲間がいるからこそ成り立ってるのは間違いないです。

体感してもらいたいし、繋がって欲しい

今はメロディックとメタルコアがメインですね。単純に、クルーも自分も好きだからなんですが。それにメロディック、スケートパンクっていうのは、ライブハウスで遊んで楽しむ人もいるし、コレクターとして掘り下げて日本版や海外版で集める人もいて、エネルギーのあるシーンだと思うんです。

Blowfuseも90年代のスケートファッションからサウンドまでを忠実に捉えたバンドで、実際スペインでは結構人気もあるんです。そのバンドが来てくれたので、皆には体感してもらいたいですし、繋がって欲しいですね。カッコ良いカルチャーやシーンを体感できると思います。

自分らのこのカッコ良いシーンにドンドン人が入っていけるようにしていきたいと思ってます。自分達がまた、そのシーンを作っていくんだっていう意味でも。

RNR TOURSとしては、今までとスタンスは変えずにやっていきたいです。お金を出せば、大きなバンドも呼べる。でもこうやってクルーと共にに、自分たちがかっこいいと思ったバンドだけを招集して活動していきたいです。音楽以外では、誰か困っている人に寄り添って、自分達で何ができるかをみんなで考えて、何か手助けになるのならば、これから積極的にやって行きたいです。だっていつも助けてもらってるから

大切な音楽と共に

小学生で音楽の虜になって以来、音楽を介して得た繋がりはどれも刺激的である。今なお、脇田氏はその経験を生かして音楽を追い求め、発信し続ける。

昔では考えられなかったようなことが実現し、本物を見る機会も増えた。海外のあらゆるバンドが月に数回来日し、ツアーで日本中を回る。リスナーもバンドも、ネットも現場でも、すべての世界が繋がるのだ。

RNRのイベントだからと足を運ぶお客さんも増えている今、これからも音楽シーンはどう変わっていくのか。彼にとっての今は、我々にとっての今でもある。きっかけは色々な形であって良い。

PUNK RULES O.K.

スタンスはそのままで、脇田氏の、そしてRNRの挑戦はまだまだ続く。

INFORMATION

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RIFF CULT(執筆プロジェクト)

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