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音楽から離れられない。ピアニスト・作曲家 上田凜子

MUSIC

2019.1.10

カフェや大衆の居酒屋で、BGMというものはよく耳にするが、生演奏をBGMに、レストランやバーで食事やお酒を嗜むとしたら。なんて素敵な情景だろう。

ピアニスト・作曲家として、幅広く活動を続ける上田凜子氏。彼女の人生に、一体音楽というものはどんな動きを持たせ、光を帯びさせているのか。彼女の魅力に、ぐっとクローズしてみた。

アンサンブルを学んだエレクトーン

結果が出てきてからすごい楽しくなって

最初はピアノじゃなくて、エレクトーンから始めたんです。4歳から、ヤマハで。その頃は本当に古い初期のエレクトーンで弾いてました。オルガンに近いのが1台あった、みたいな感じですね。両親が一生懸命にローン組んで買い替えてくれました。

厳しい親だったので、練習もよくしていました。ちっちゃい頃は、遊ぶのとかもセーブされて、本当に強制的に練習やらされてる感じでした。

コンクールに出るようになって、そこから5人ぐらいの先生に習うようになったんです。ちょうど小学生くらいでしたね。1曲をいろんな先生に見てもらうみたいなスタイルでした。

私も単純なのかもしれないんですけど、小学3年生の時かな、コンクールの2回目くらいから結果が出きて、エレクトーンがすごい楽しくなったんです。グループレッスンはグループで楽しいなって思うし、個人は本当に自分だけで勝負できるからそれも楽しいって思ってました。

気づいたんですよ、人の何倍もやらないと自分はだめなんだって

16歳で世界大会に出たんです。それまでの自分のなかで、一番インパクトがある結果が出てたんです。

当時はコンクール出にても、大体は賞を獲ってて、トントンとうまくいってたんですよ。周りから褒められてちやほやされて、そしてサボったんですよね。「あ、もうこれぐらいでもいけるだろう」みたいな考えで、天狗になっていました。

そんなときに、コンクールに2回出れるっていう機会があったんです。なのに、1回目で絶対クリアできるはずのコンクールに落ちたんですよ。「過信してしまってたんだ」って、そこで初めての挫折を味わっいました。そこからもう猛練習。かなり必死にやりました。

世界大会の結果は、そんな挫折後にやっと掴めた結果だったので、今までの人生で忘れられない。そこで気づいたんですよ、人の何倍もやらないと自分はだめなんだって。今まで結果が出てたのは、努力してきて必死にやってきたからなわけで。そこからもう天狗になったことはないですね。今までで一番の挫折かもしれないですね。

映像に合わせて音楽作る仕事いいなぁ

高校時代に、わりとよく映画やドラマを観てたんです。その時に、エレクトーンの演奏だけもいいけど、場面場面で流れてる挿入歌や挿入曲みたいな「映像に合わせた音楽」を作る仕事っていいなと思うようになりました。それで、その方向に進学の道を決めたんですが、両親は大阪を出る事に反対でした。

エレクトーンの先生も、ご自身も同じように、ご両親の反対で希望する方へ進めなかったことをずっと後悔されていたそうで、気持ちを分かってくれました。それでどうにか両親を説得し、上京してきました。

大学は作曲専攻だったので、することはほとんど作曲。授業も作曲だし。先生も、映画の音楽が先行だったりして、幅広くやってましたね。

作曲家の人ってほんとすごいなって思うのは、いろんなことを知ってるところ。どんな仕事が来ても、臨機応変に対応をして、求められてる物を作らないといけない。自分もそういうところ頑張っていきたいって思います。

今ももちろん、作曲もしてます。ただ、たしかに作曲家志望で大学に入りはしましたが、やっぱり演奏はずっとずっとやっていたいってことがわかったんです。今の人生の半分ぐらい、ずっと演奏ずっとしてたし、作曲よりも演奏が楽しかった。今は演奏も作曲もどちらも取り組んでいます。

父親の影響で触れたジャズ

結構ストレスだったんですジャズが

お父さんがすごいジャズが好きで、それで私もジャズに触れ始めたんです。高校生くらいになって、コンクールではジャズで出てみようかなと思いました。

それでジャズを選んでやってみたんですけど、やっぱり難しいなってすぐ思いましたね。お父さんにはリズム感がひどいとか、クラシックのノリで弾くならやめてくれってよく言われました。当時は“クラシックなノリ”とか“ジャズのノリ”とか分かんなかった。まあまあストレスでしたね、ジャズが。

本格的にジャズピアノを習い始めたのが、23歳くらいからでした。でも音楽一本では全然やっていけなかったかなーって思います。

「音楽一本で生きていきたい、でもやっぱり生活もあるし」っていう葛藤は、結構ありますよ。ライブに出始めたり、曲出したりしてすぐには、音楽一本で食べていくのは難しいですから。今もそんなに生活が安定してるわけじゃないです。

「あーもう本当疲れたな」とか、「ちょっと3日間ぐらい音楽から離れたいな」っていう時は普通にあります。自分との葛藤や全てを忘れたいときは、休みたがっている自分を誰かに肯定してもらいたくって。「そう言う時は無理をしません!そういう日も大事だ」って自分に言い聞かせてる。…大事ですよね?

ステージで繰り広げられるスリルとワクワク感

音楽って毎日違って、気分だったり会う人だったり一緒に音楽を奏でる人だったり。好きにやってます。ステージで繰り広げられるスリルとワクワク感が好き。

反対に一番つらい時は、すごい音を出す人と合わせた時に、自分とのレベル差を、ステージで現実として受け止めないといけない時ですね。ほかには、「もっと弾けるのに、もっと表現できるのに。みんなともっと一緒になれるのに」って思ってるのに、全然その表現や成果が出ないとか。あー辞めたいなって一瞬思いますね。逆にそれが出来た時はすんごい楽しくって嬉しいです、「やっててよかったな」って。「よかったよ、またやろう」って言ってもらえた時は本当に嬉しい。

今はやっぱり、ピアノが好きですね。いろんな人と一緒に演奏できるのが楽しい。その輪に音楽で馴染めるのが楽しい。色んな人と一緒に演奏できる機会を増やせるように、色んな人に一緒にやりたいって思ってもらえるように、1回1回を無駄にしたくない。

音楽を仕事として

はじめの出てくる歌詞が印象を与えたい

自分のリーダライブでは、ブッキング、演奏、それから集客も必死でしました。なかなか大変なんですよね。そこがまたバランスがちょっと難しいんですけど、大変ですが本当にやりたいことだったので苦ではなかったですね。

ATSUNOちゃんとやっているユニットでは、自分が曲を作って、歌詞は彼女がつけてくれてます。ATSUNOちゃんのスタイルで歌って欲しいと思うし、彼女の考えは優先したい。でも自分もこだわりはあるから、一応曲作る時に描いた感じを伝えて歌詞を作ってもらっています。

二人とも、やっぱり感性が似てるところも違うところもあるので、やっぱお客さんが聴いてくれた時に、最初の歌詞で印象を与えたいから。その点で話し合ったりはしてますね。

ジャズって何か教えるのもなんか難しい

今では、ジャズピアノの先生もさせていただいてます。教え始めたのは、まだ3年前くらい。私がかつて生徒として通っていたジャズ教室で、そこの先生がオーナーなんです。

生徒として通ってるときは、私も結構頑張って、ちょっと上手くなるじゃないですか。そうしたら先生が「そろそろリンコちゃん教える方に行ったらどうだ?」って言ってくださったんです。そこからは先生として、そこで雇ってもらうようになりました。本当に感謝です。

初心者の方には、「ここはドで、ここはレで。ト音記号はこう書きます」っていうところから教えます。たまにちょっと演奏させたりとかして、生徒さんに飽きさせないようにはやるようにしてるかな。ちっちゃい子とかって、集中力を維持するのはちょっと難しいので。曲と理論を半々くらいでレッスンしてます。最年長の生徒さんは67歳の方で、頑張ってくださってる。元々ピアノやっていた方もいますけど、やっぱ一生懸命やってくれる生徒さんて嬉しいなと思います。

ジャズのスケールは何個かあって、それを覚えるまでが結構大変だったりするんです。自分で弾くときは、スケールを考えずに弾いてるから、生徒さんに教える時は、最初の自分を思い出して指導してます。難しいところですね。まだまだ勉強中なので、何とも言えないですけど。

音楽から離れられないですね

最近転機が訪れたんです。作曲家の先輩と出会えて、そこからちょっと作曲のお仕事ももらえるようになったんです。

その時は、お仕事としての作曲って全然やったこともなかったし、作曲から少し離れてたんです。でもせっかく大学で学んだんで、また作曲したいなーって思ってました。先輩にも、先輩と出会えたことにも感謝です。

音楽からずっと離れないですね。4歳からだからもう離れられないのかも。本当に好きなのかなと思いますね。大学卒業して、仕事としてやっていくときに、音楽も趣味ではやれないじゃないですか。仕事としてとなった時に、色々な時期はありました。本当にしんどい時もありますが、離れることはないです。

最近は、仕事を通じてクラシック演奏をされる方とも仲良くなりました。大学での専攻は作曲だったから、楽器の子達ともっと仲良くなっとけば良かったんですけどね。残念ながら、なかなか機会がなかったので、大学卒業後に仕事で出会った方が多いです。それも嬉しいなと思ってます。大学時代に全然喋らなかったのに、卒業してから出会って、お仕事でお互いに誘い合ったりしている関係がすごい嬉しいですね。

作曲者としても演奏者としても、どっちも自分のスタイルでやれたらなーって思います。依頼だけではなく、自分で作ったものを自分が表現して、それが世界でも認められたい。そいういうのがやっぱり一番嬉しいですね。

表現はやっぱり自分でしたいです。でもそれがみんなに認められないと、ただの独りよがりになっちゃう。そうじゃなくて、みんなに楽しんでもらえる、わかってもらえるようなモノを作りたい。

自分を表現したいけど、今はあまりそういうことができてない。自分のなかで作曲と演奏がまだリンクしてないんです。それがリンクできるようになりたいなっていうのが最終目標です。作曲もプロデュースも、絶対にどっちも自分でやってたいなって思います。

ファンの方の年齢層が、自分よりもちょっと上めの方が多いので、もっと若い方たちのファン増やしたいなって思ってます。客層を広げたいなって思ってます。

だからジャンルにこだわらず、色々やりたいなと思ってます。もっと若い人たちに聴いてもらって、それが入り口になってくれれば。表現の中にジャズを取り入れて、広めたいですね。

表現者、作曲家として

ピアニスト、作曲家、上田凜子氏。数多くの演奏者との共演により得たものを、自分のものにし、決まった形にはまらずあらゆる形で表現し続けていく。

 

INFORMATION

Otoei music上田凛子page

 

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