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アメリカで知ったグリル料理をビール香る地元で振る舞う。「STEAM HEAD FRIES」ゆずる氏

FOOD&DRINK

2019.3.14

あるとき、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の行列は、ぬかるんだ街道を通れずに困っていた。
現地の村民が脇に生えていた生麦を刈り取って水溜りの上に敷くことで、将軍一行を救ったそうだ。

秀忠は感謝の意を込めて、当地を「生麦」と名付けた。
現在ではキリンビールの横浜工場もあり、まさに”麦の街”としてお酒好きからも愛されている。

そんな街で、美味しいビールやお酒にマッチする料理を提供するのが、STEAM HEAD FRIESだ。

店主のゆずる氏にお店を出すまでの経験と、出店してからの楽しみなどを語ってもらった。

アメリカで感じた異国の食の文化

将来はお店をやるんだろうなって

最初に飲食で働き始めたのは高3のころだったね。ラーメン屋で。そのときに「この仕事が好きだ」と思えたのよ。なんとなくだけど、将来は自分でお店をやるんだろうなって考えてた。

高校を卒業してからアメリカに行ったんだよね。母親の親戚がアメリカに住んでてさ。カリフォルニアの西海岸の雰囲気とかが好きだったのね。空が綺麗で海もあるし、スローライフというか、ゆっくりしている感じがいいなって。

現地で、市民権を持ってる人だったら誰でも入れる学校に、4年半かけて通った。

学生ってやっぱ金ないじゃん。本当に残り何十円のところまでいったのよ。飯も食えないってなってさ。そのときに「ファーマーズマーケット」っていう野菜の直売所みたいなところで、日本食を売ってる屋台にお願いして、日払いで手伝わせてもらったんだ。

そこでなんとか生活費は稼げた。英語を話せるようになってからはウェイターもしてたね。そこで飲食には関わってた。

日本人は「食べたことないものを食べてみたい」って考えが強いと思う

シェフ以外の仕事は「ラインクック」っていうんだけど、アメリカでラインクックに入ってる人は、ほぼ外国人だったな。俺が働いていた焼き鳥屋さんでは5、6人のメキシコ人が裏で串打ちしてた。

手先も器用だし真面目な人が多いから、レストランの厨房では外国人が多いんだよね。ホテルの裏方もメキシコ人ばっかりだった。結構、楽しかったよ。日本食をメキシコ風に作ったりして、彼らに「うまい」って言わせるようなまかないを作ろうと思ってた。

メキシコ人もそうだけど、外国の人を見てて思ったのは「自国の料理への愛が強い」ってことかな。日本人は「食べたことないものを食べてみたい」って考えが強いと思うんだけどね。

宗教上の理由もあるんだろうけど、インドの人とか本当に自分が作ったものしか食べなかったなぁ。外食してまで未知のものを食べる姿勢はなかった。

アメリカには小売店も結構あってさ。ギリシャとかインド、韓国系、中国系の食材を売ってるスーパーは、もろ現地の人が経営してるんだよ。「アメリカならでは」って感じ。日本でもたまにあるけど、東南アジア系のスーパーとか。

いろんな国の食材とか料理を食べられるのは楽しかったな。買い物ついでにちょっと食べれるようなイートインスペースみたいなのもあってね。

もう1回戻れるチャンスがあるかなっていうのが

アメリカにいる間にちゃんと料理を勉強したいなって思ってたのよ。
「学校卒業しても会社勤めになることはないだろうな」って。自分が好きな、飲食に関わる仕事がしたいと思ってた。

それで日本に帰ろうと考えてたんだよね。1回帰って勉強して、戻れるチャンスがあるかもって。やっぱり永住権なしでレストランに入るって相当きついからさ。

それとアメリカ人の若い見習いもわんさかいるから、そのなかで俺ひとり、日本人が入るのも大変だった。喋り言葉もそうだけど、そもそも食材の単位が違うんだよ。グラムとか使わないから全部覚えなくちゃいけない。

肌で感じるのって無理だったのよ。だから日本に帰ってちゃんとしたお店に働こうかなと思ってた矢先に現地の警察に捕まっちゃって。

学校に行ってないのがバレちゃったんだよね。そうするとビザの要件を満たしてないからさ。もう日本に帰るしかなかった。

帰国して本格的に進んだ料理の道

醸造してるときの匂いって特徴的なんだよ

帰ってきてからは、小さいレストラングループのパン屋さんで働きはじめた。

それとカリフォルニアワインを取り扱ってるバーと、ワインを輸入する会社に入って、仕入れのことも学んだね。
だんだんとアメリカで食べたいろんな国の料理を出したくなったんだ。

それで勤めていたワインバーを辞めて、新しいお店に入った。

そこは結構外国人のスタッフが多かったなぁ。オーストラリアとかアメリカ、ヨーロッパ、南米、中東の人もいた。土地柄、海外から働きに来てる人も多かったんだよ。

だから2、3年で自国に帰ったりする人が多いのね。
外国人のお客さんが来ても、みんな英語喋れるから困らない。それと現地で食べるのとは違って、日本で食べる海外の料理って人気があったのよ。それこそ俺がやりたかったスタイルに近くてさ。

ジャンル分けするのは難しいんだけど、いろんなの国の料理をやる感じだよね。
そこで働いてるスタッフに共通しているのが、とにかくおいしいものが好きだっていうこと。スパイスとか食材に興味がある人が多かった。

近くの中華街まで歩いて、見たことない食材を買って食べたり、料理してお客に出したりしてた。中華やフレンチ、イタリアンとか、畑が違う人ばっかりだったからさ、自由なのよ。インドのスパイスと中華の食材をミックスさせたりね。感覚で作れるのは楽しかった。そこでは4年間勤めたけど、勉強になることばかりだった。

あと、自分の店を出すきっかけになったのが「生麦」という土地だな。

キリンビール工場があるんだけど、ちっちゃいころは見学に行けたんだよ。

じいちゃんにしょっちゅう「行ってこい」みたいに言われてさ。小学生のころはビールを作る匂いとか、生麦特有の雰囲気が好きだった。

それで前の職場でも「いつかビールを作ってる街でお店を出せたらな」って漠然と考えてたんだ。

子どもだったころの記憶とリンクしてたんだよ。醸造してる時の匂いって特徴的なんだよね。麦を煮てるときとかさ。そういう匂いが感じられる街で、飲食やりたいなって。将来のビジョンが具体化していった。

自分が考えていたウェイターの仕事とは全然違くて

店を出す前に、違うお店で半年くらい働いてたこともあって、そこはビールも自社で作ってた。
キャパは350席で、スタッフはホールとキッチンに20人ずついる大きなお店だったんだよね。

キッチンじゃなくてホールとして入った。

ホールの仕事って、実はあんまり分かってなかったんだよ。注文をとって料理を運ぶっていうイメージだけでさ。

時間もあったし、ホールの仕事も覚えておきたかったんだよね。

きちんとしているお店だったから厳しかった。食材の中身やソースをパッと答えられないとウェイターにはなれないっていう方針でさ。

スタッフのレベルが高くて、お客さんのちょっとした動きで「注文したい」とか「お水がほしい」とかを感じ取れるウェイターもいるわけよ。

本当にすごいと思ったな。タイミングが完璧なんだよ。1人が5、6テーブルぐらい見るんだけどさ、マックスで30人くらいのお客さんがいるわけね。でも全員の気持ちを汲み取れているのよ。ドリンクのおかわりとか、絶妙なタイミングで駆けつけるんだ。

お客さんから声を掛けられたら、ウェイターとして失格と思われてた。呼ばれる前にテーブルに行って注文を取るというホスピタリティがあったな。
自分が考えていたウェイターの仕事とは全然違って面白かったね。

経験から出せる料理とこれから

ジャガイモには力を入れてる

グリル料理をメインにしようと思っててさ。以前勤めていたお店で、付け合わせにフライドポテトが必要だったんだけど、最初は冷凍の芋を揚げてたんだ。そうしたらソマリアで海賊が貿易船を襲う事件があって、船が出せなくなってさ。輸入ができなくなったんだよ。

だから冷凍じゃなくて、生のジャガイモを使うしかなくて、品種とか原産地を調べはじめた。

そうしたら北海道の農家さんを見つけてさ。コンタクトを取って、ジャガイモを送ってもらったんだよね。

そのジャガイモがすごく甘くて美味しかったのよ。イモの味がしっかりして食べ応えもあるんだ。

自分でも調べていって、お店を出すんだったら「よし、これでフライドポテトを作ろう」って。

それからジャガイモには力を入れてるね。時期に合わせて最適な品種のジャガイモを送ってもらうようになった。

こっちから指定しているわけじゃないんだけどね。ホクホク系とかしっとり系とかを時期に合わせて送ってくれるんだ。

それと揚げ方もたくさん研究してさ。下準備でフライドポテトの出来が違うんだよ。揚げる温度とか時間でおいしさが変わるしね。今は他にないものを作れるんじゃないかなって思う。

フライドポテトの歴史を見ると、ベルギーが発祥で隣国のイギリスとかドイツの主食もポテトなんだよ。ヨーロッパはポテトの本場なのね。

だから今度ベルギーに行ってみようかなって。噂によるとフライドポテト店が至る所にあるらしくてさ。コーンの形した紙にぎっしりとポテトが入ってたりね。屋台から手渡しで受け取るみたい。

それで有名店だとソースが10種類ぐらい選べるらしくてさ。うちも真似してるんだけど。

炭火焼きの薪のグリルをすごい好きになって

あとはお肉も工夫してるね。

アメリカではアパートにもいちいち裏庭があるんだ。アメリカにいたころは週1でバーベキューしてたんだよ。誰にも何にも言われないしね。外でお酒を飲むのは気持ちよかった。

薪とか枝がよく落ちてるから、拾って肉買ってきたらすぐにバーベキューできるんだよ。それで炭火焼きのグリル料理が好きになってさ。店をオープンした後も、夏場は月に1回ぐらいバーベキューのイベントをやってたね。

かなり好評だったから定期化したいと思ってる。

違うのをやったらどうだろうっていつも考えてる

波はあるけどおおむねイメージ通りというか。やりたいことがやれてるって感じはするね。

どうしても地域外からお客さんが訪れるような場所ではないから、地元の人がメインなんだけどね。だから広告を使っても意味ないかなって。地元の人とかが常連さんになってくれるのが、ベストな状態だと思う。欲を言えば、近くの会社で働いてる人が帰りに寄ってくれたら嬉しいかな。

メニュー自体最初から決めてたわけじゃないんだよ。

なんとなく考えてたけど、営業しながら増やしたり減らしたりしようって思ってた。だから最初がイチバン緊張したな。

それからお客さんも増えていくにつれて、別のことをやってみたい気持ちがある。今までは「自分の店を持ってやりたいことをやる」って目標があったけど、達成されたからね。

今の店を大きくしたい気持ちもあるけど、別の業態にも興味がある。ピザ屋とかパスタ屋とか、いろんなお店を見てると勉強になるなあと思ってるんだ。

飽きっぽいんだよね。だからメニューも固定したくない。

「違うことをやったらどうだろう」って、いつも考えてる。自分がやってることってどんどん古くなっていくじゃん。フレッシュなままでいるためには、自分の考えをシフトし続けるのがいいと思うんだよ。その結果、もしかしたら全然違う店になるかもしれないよね。

大手だったら時間がかかるようなことが、個人店だとすぐに取り組める。フットワークを軽くしながら、常に面白いことをやりたいなって思ってる。

今はお客さんからいただいたお金を使って、自分の好きなことをやれてるわけじゃん? それがイチバンだと思うな。お金で欲しいものを買うんじゃなくて、やりたいことをやることが大事だね。

気になる食材で料理を作るのは、自分が試したいことだからさ。最終的には自分の趣味にお客さんが付き合ってくれてるだけなんだよ。おかげさまで楽しくやれてますよ。

色々なスタイルで

アメリカでの経験と日本に帰ってきてからの知識。彼は行く先々で得たものを自分のスタイルに消化している。

そしてハングリー精神を持つことも忘れない。「趣味だ」と笑いながら新しいことにチャレンジしているのだ。

「刷新することで古くならない」と語る彼が次に仕掛けるのはどんなメニューなのか。日本でも有数の麦のメッカで、美味しいビールに合う料理をぜひ堪能してほしい。

INFORMATION

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ACCESS:神奈川県横浜市鶴見区生麦3-15-24
TEL:045-516-0310

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