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イタリア文化の担い手、クレイジージャパニーズシェフ 能勢祐介

FOOD&DRINK

2019.2.28

成り行きで始めた料理。
そこで出会った人に感銘を受け料理の道を進む。

そこからイタリアの地元文化に触れ、イタリア文化の担い手を目指す。

イタリアンシェフ IRIEY’S KITCHENオーナーの能勢氏にお話しを聞いてみた。

料理哲学に触れて

衝動的に動き出した

お店を始めるまでのきっかけは、10年くらいイタリア料理ずっとやってきていて。仲のいい友人と10年ほど続けてる中で、最後の1年くらいはずっと”そろそろ独立したいね”みたいな話をしていて。

独立するんだったら俺もちょっと乗らせてもらっていい?みたいな友達がいまして、そいつとずっとセッションを続けてて、”よし、じゃあこんな話毎日してるんだったらこれはもうやった方がいい”みたいな感じで、衝動的に動き出して。

その仲いい友人っていうのが、僕が働いてたイタリア料理屋のすぐ裏手の徒歩二分くらいのとこに住んでいて、仕事終わった後そいつんち行ってチルするのが日課みたいな感じ。その時に独立しようよみたいな。で友達と半分半分投資し合って、ここをオープンしたっていう経緯ですね。

それでできたのがこのIRIEY’S KITCHEN。

たまたま彼女がフロムエーで見つけてきた

料理を始めたのは、24歳の時に始めて。その時まではずっと水商売だったりとか当時は確かパチンコ屋の寮に入って働いてたのかな?だから適当な仕事しかしてなかったんですよ。

それでその当時付き合ってた彼女と同棲しようかどうしようかっていう時に、親に挨拶行くのにパチンコ屋の店員だ何だって言うのもアレなんだって言って仕事探してたんですよ。たまたま彼女がフロムエーで見つけてきた青山のイタリアン店員募集みたいなのがきっかけです。女が見つけてきたフロムエーからのスタート。(笑)

最初はホールだったんですけど、けっこう忙しい店できつくて。
ホールもほぼ女の子しかいないみたいな感じだから、女社会にぽつんみたいな。上司がみんな女の子みたいな。バイトリーダー超こええ、、、みたいな感じでやってたんですけど、ちょっときついなって思って。

辞めようかなどうしようかなっていう時に、そのお店のシェフの人。シェフっていうのはそのお店のトップの料理長のこと言うんですけど、そのお店のシェフの人がバンドマンでDJもやってて、仕事以外の時間がすごい有意義に自分の遊びの時間を持ってる人で。

仕事もバリバリできるんですよ。元ホテルのフレンチ出身でしっかりした技術を持ってるんだけど、そういう自分の趣味というかライフスタイルの部分でもきちんと確立してる人で、こういう人だったらいいなみたいな感じで、ちょっとこの人と働きたいなと思って。

このままホールを続けるんだったら僕辞めたいんですけど、もしキッチン入れてくれるんだったら続けますって言ってみて。そしたらキッチン人数揃ってたんですけど、週3くらい半々くらいで入れてくれるようになって。そこから料理に触れるようになった、みたいな感じですね。

まあ、のちに結局喧嘩してやめちゃう感じなんですけどね。(笑)

本格的なイタリアンのスタート

そこから1年弱くらい経って、イタリア料理っていうものにも興味を持ち始めてきて。
ただお店がそんなにちゃんとしたイタリアンっていうわけでもなかったんですよ。シェフもフレンチでしたし、回りのシェフもがっちりイタリアンっていう人がいたわけじゃなかったんで。パスタ屋に毛が生えたくらいのイタリアンだったんですよ。なのでちゃんとしたイタリアン行こうかなっていう風に思ってて。

そしたら噂で知り合いの投資家さんが、プライベートレストランを西麻布に持ってるって話で。そこのプライベートのレストランのシェフはすごい凄腕の有名なシェフだって話で。
料理の鉄人とかにも出てたイタリアンのシェフの一番弟子みたいな人がやってるレストランだった。そこにもし行けるんだったらいいかなっていう。

それでその投資家さんに直談判して、そこのお店に行けるんだったら続けますっていう、最初のキッチンに行く時とまた同じ手法を使って。(笑)
よしじゃあお前が行きたいんだったらいいよって入れてもらって、そこから本格的なイタリアンのスタートみたいな感じ。

まあ、また結局喧嘩してやめちゃう感じなんですけど。(笑)

ただその一年間で基礎というか、ほとんど何もやらせてもらってないんですけど、その人が料理してる姿だったりとか、その人の料理哲学ってものにすごい触れて、それが今の自分の基礎になってるかなっていうのはあるので。そこが一番大きかったですね。

その後は地元にパスタ屋さんがあって、仲のいいスケートボードとかやってる同級生が働いてるお店があるんですけど、そこに渋谷店があるって話で。渋谷店のシェフが辞めるから次のシェフを探してるっていう風に言われて。自分一応2年くらいキャリアはあったけどほとんど料理させてもらってないんですよ。

食材の下準備とかそれくらいしかやってないのに、俺やるよ!みたいな感じで手上げて、いけるいけるって言って。パスタ屋なんで余裕でしょみたいな感じでそこ入れてもらって。半年後くらいにシェフが辞めるから引継ぎをして、そこの店長、シェフとしてやってくれっていう話で。そこまた2年くらいそこ続けたんですね。

そこにいる時にイタリアに行きたいなっていう考えが生まれてきて、そろそろ準備入らないとなって。
そしてまた社長と喧嘩別れして。(笑)

イタリア料理をやるならイタリアに

基礎がないと

イタリア料理なので、イタリアの文化だったりとかイタリアの四季、この時期にはこれを食べてっていうその基礎がないと、和食やってるのに日本に来たこともない人っていうのも何かなって。

今この世界だったら行かなくても情報がいっぱいあるし、できるのかも知れないですけど、それってどうなのかなっていうのもありましたし。

プライベートレストランのシェフも必ずイタリア料理やってるんだったらイタリアに行ったほうがいいっていう考え方を持ってた人で、その人の考え方に感化されたっていうのもあるんですけど、自分自身でもイタリア行ってみたいなって、この頃単純に思ったんですよね。

さっきの渋谷のお店を辞めてから、地元にあるシチリア料理のほんと郷土料理かな、、、地元に新しくできた郷土料理のお店っていうのができまして。
地元があざみ野なんですけど、横浜市の。そこにちょっと興味を持ったんでそこに応募してみて、ほぼオープニングスタッフっていう感じで。そこでまた1年間やってまあお金を貯めつつみたいな感じで。

1年間やってまあお金を貯めつつ

イタリアに行く方法として、例えばお金貯めて100万円片手に1人でイタリアに行って、レストランの門を叩くって方法もあったと思うんですけど、それじゃ実際イタリア語も分からないし2〜3ヶ月で100万使い切って帰って来るだろうってことで。

他の方法が、料理人のために留学を支援する会社っていうのがいくつかありまして。学生ビザを取ってくれて、最初の1ヶ月間は料理学校、ドモドッソラってイタリアのピエモンテの北のはずれにある町の、料理も教えるちゃんとした小中高一貫校みたいなでっかい学校があるんですけど、そこに特別クラスみたいな感じで日本人の留学生向けに授業するっていうのがあって。

それを利用をしてイタリアへ行こうってなって。

そこでは料理技術・料理の伝統・歴史・あとワインのテイスティングのやり方・料理の実習あとはイタリア語の授業みたいなのを1ヶ月間そこで受けました。そこからそれぞれの希望だったりとかを基に、レストランを振り分けていくみたいな感じなんですよ。

それで一年間ただ働き、もしくはその人の能力に合わせてそのレストランが給料を払うんだったら払うし、もらえなくても文句言えないよっていう。とりあえず研修生みたいな感じですよね。そういう感じでレストランを紹介してくれるっていう。

地元に密着したピエモンテの郷土料理

僕はイタリアのピエモンテ州っていうのがあるんですけど、そこにトリノっていう州都がありましてそこの郊外のトロファレッロっていう町にある、その町の高級レストランみたいなところですかね。そこは完全にイタリアン。地元に密着したピエモンテの郷土料理を出すようなイタリアンに行きました。

今のイタリア料理の知識といいますか、料理哲学はさっき話したプライベートレストラン、プリモバーチョっていうお店なんですけど、そこの白井シェフって人から教わった哲学が根底にあると思うんですけど、料理に対する姿勢だったりとか。まあ料理文化、イタリア人がどういう生活して、どういう食生活をしてるのかって、周りにどういうお店があって春夏秋冬どういう風なご飯のどんな食べ方をしてるのかっていうことの知識の基礎はイタリア行ってるときに全部学んできたものなので。

日本風イタリアンじゃなくて、ちゃんとイタリアのイタリア料理を作れるようになったのはそのイタリア行ったお陰かなというか、そこで学んできたものかなっていう。

創作料理じゃなく、イタリア料理

地域のナショナリズムみたいな

地域に根ざしたものっていうのが、僕ピエモンテのトリノ郊外だったんですけど、トリノでだいたいちゃんとイタリア料理のお店に入ると、だいたい地方の料理っていうのが前面に打ち出されてるってとこですよね。東京だったりとかちょっとした地方都市、神戸とか名古屋とか行っても、そんなに地方色の強いレストラン和食屋さんってそこまで多くないじゃないですか。やってるとこはちゃんとやってると思うんですけど。

でもどこのイタリア料理入ってもだいたい地方色っていうものが前面に出てるってとこですよね。その地域性の濃さっていうのは。 その地域のナショナリズムみたいな。

昔はたぶんイタリアって統一国家じゃなかったので、ずっと小さい国、トスカーナのトスカーナ公国みたいな、ベネチアはベネチア公国みたいな感じで、小さい国として分かれていた感じなのでその地域のナショナリズムみたいなのがすごい強くて、それが料理にも反映してるのかな。

料理も伝統芸能じゃないけど、伝統文化。シェフとかはその伝統文化の担い手みたいな意識が強くて。
そこの違いですかね。

自分達の好きな文化

日本のイタリアンっていうのは一緒くたにイタリアンってくくるのが難しいというか、イタリアのイタリアンはもう全部イタリア料理ですけど、日本のイタリアンの場合は、例えばそこにあるパスタ屋さんもイタリアンになるとか、パスタとピザしか出してないお店もイタリアンになるとか。

それともシェフがちゃんとイタリアで学んできてイタリアの郷土料理を伝統文化の担い手として出してる人もイタリアンだしっていう、色んなイタリアンが派生してるのでっていう部分ですよね。多様性がすごいというか。和風パスタ出してるサイゼリヤもイタリアンだしっていう。

なかなか一括りには言えないですけど、イタリアのイタリア料理っていうのはもう完全にずっと続いてきたものっていう感じですし、日本のは多分ここ50〜60年だと思うんですけど入ってきたのが、入ってきた時点からどんどん多様化してってる物だと思うんですけど。

日本のイタリアンっていうのは、第1世代って言われてる人達がたぶん落合シェフだったりとか、僕が働いてたプライベートレストランの師匠のだったりとか、その人たち周りがたぶん第1世代みたいな感じだと思うので、その人達が始めたのが50〜60年前かなっていう。その前にもしかしたらナポリタンとかはあったかもしれないですけど。

僕が最初このIRIEY’S KITCHENを始めるときにコンセプト的に自分達の好きな文化だったりとか、結局スケートボードやって音楽もアメリカ寄りのものを聞いてたりとかするので、そういうライフスタイルの文化も混ぜて。そこでイタリア料理をやってるっていう感じ。

だから別にチキンオーバーライスがあってもいいんじゃないかとかそういうノリでやろうかっていう話でスタートした部分があったんですけど、ただ結局やってるうちに自分のこだわりの部分っていうのが強く出始めてきて、結局今はちゃんとしたイタリア料理をやりたいなっていう風になってきてますね。

クレイジージャパニーズを装って

事件もありまして。イタリアに行ってる時、途中でバルセロナに旅行しに行って。
駅前というか駅の裏ちょっと歩いたらすぐでっかい砂浜があるんですけど、その砂浜の公園というか、ずっと砂浜沿いが公園になってて、夏だったんでそこそこ人がいて賑わってるみたいな場所だったんですけど、そこに野宿してたんですよ。

大事なパスポートとか財布とか全部鞄の中入れて、鞄を枕にして。そこでi podで音楽聞きながら寝てたらトントントンって起こされて、パッて見たらアラブ系の人が俺の顔こうやって覗いてるんですよ。危ないと思って、何って言ったら「this is danger zone」みたいなこと言ってるわけですよ。

ここ危ないぞ、お前どっから来たんだって。ここ危ないからここで寝ちゃダメだよみたいなこと言ってて。けどよく見たらシンナー吸ってるんですよそいつ。右手にティッシュ握ってすーってやってるんですよ。なんだこれお前絶対危ないじゃんって言って。

何か盗りに来たんだろうなって感じなんですけど、鞄は後ろにあったし大丈夫大丈夫って。それですぐどっか行ったんですよ。やっぱここで寝てるの危ない、、、けどまあいいや、朝まであと数時間ここで過ごそうと思ってi podのイヤホン付けたら先っぽついてないんですよ。

はい持ってかれたー。うわあこれかと思って。もう俺パソコンとかも持ってなかったから全部データはそこにしか無かったから、それを探すわけですよ。僕はそいつのことを公園の中で。これは絶対取り返さないといけないと思って、30分ぐらい練り歩いて探してたらそいついたんですよ。

見つけてこれどうするみたいな。仲間はいないな近くに。とりあえず俺はクレイジージャパニーズっていう感じにして、絶対負けないぞっていう強い意志を持っていくしかないでしょっていって。

もちろんナイフも何も持ってなかったんですけど、右手にナイフを持ってるっていうていで右手後ろに隠して、「おい!」みたいな感じで行ったんですよ。「please my ipod」とか言って。

そしたらそいつちょっと引いたんですよ。クレイジージャパニーズを装ったら。そこからそいつ焦って、「持って無いだろ?」みたいな、ポケットとか裏返して持ってないみたいに。きょろきょろしてたから、仲間呼ばれても怖いし。危ないなと思って、ポケットの中にもう全く金持ってなかったんですけど、日本の1000円札が入ってたの思い出して。

1000円札出して「this is one thousand yen」って「japan money you know?」とか言ったら目の色が変わったんですよね。1000ユーロって言ったらたぶん10万くらいするんですよ。分からないじゃないですか、そいつら知識ないから。
それと「change!my ipod change」とか言ったら、靴脱いで靴の中からipod出してチェンジして、そいつが去っていくっていう。1000円札を片手に。

とかいう、そういう事件とかはありました。(笑)
話が料理から変わっちゃいましたけど、海外に行くといろんな文化があって楽しいなって。

イタリアの風を感じてもらう

僕が日本でやりたいのは、文化の担い手みたいなところじゃないですかね。

そこをブラさないことっていうのはイタリアの風を感じてもらうじゃないですけど。
まあそういうところですかね。
日本風のイタリアンってよりも、本当のイタリア料理っていうものを日本人のお客さんに知ってもらって提供していきたい。もしくはイタリア料理やイタリアにゆかりのある人だったら懐かしいと思ってもらえるとか。そういうことですかね。

やっぱりイタリアで行ってたそのレストラン。
地域性の担い手をやってるって言ってたじゃないですか。そこが根にあるって感じですかね。

俺らのやってるのは創作料理じゃないんだ、イタリア料理をやってるんだっていう。

イタリア文化の担い手として

文化に触れ、文化を学び、そして文化を体験してきた能勢氏。

人と人の繋がりでいつの間にか料理人を目指し、いつの間にかイタリアに没頭していく。

能勢氏の生き様、カルチャーから作られたマインド。

能勢シェフが体験して知った、本当のイタリアンをぜひIRIEY’S KITCHENで体験してほしい。

INFORMATION

IRIEY’S KITCHEN

住所:東京都目黒区自由が丘1-25-20 MK5ビル 2F
予約・お問い合わせ:050-5571-2623

ランチ (金曜〜日曜)12:00~15:00(L.O.14:30)
ディナー(火曜〜日曜)18:00~23:00
定休日:月曜日

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