Boriは接着剤ような人だ。
アロンアルファではなく磁石のような貼り付き具合で、スッと人と人を繋いでいく。
火星から来たという謎の生い立ち(設定?)を持つ彼は、この地球で音や映像を使って、自分を表現しながらたくさんの人を吸い寄せている。
VJ・アーティスト・イベントプロデューサー等、複数の顔を持つBori。
謎に包まれたルーツやエピソードを語っていただき、彼の内面に迫ってみた。
火星から来た音楽人「Bori」
Photo by セオサユミ
交通事故にあって、人格が変わってしまった
僕火星人なんですよ。地球を観察しに、火星から来ました。
地球に来た時の年齢は・・・火星年齢で20歳くらいですかね。
まぁあまりその辺は突っ込まない感じで(笑)。
ある時交通事故に遭ったんですね。一瞬死の淵じゃないけど、そういう所を彷徨ったんですよ。
そこから、僕の人格が変わってしまいまして。
それまで割と外向きの性格だったんですけど、内向きな感じになってきてしまったんですよね。そんなきっかけで、突如音楽に興味を持ちだしたっていう感じですね。
あなたは甘いよ、そこで僕はどん底に堕ちた
音楽を洋楽メインに色々掘りながら、僕がギターヴォーカルで生演奏と打ち込みを融合させるバンドを組んだんです。ほとんどライブはやらず、曲作りとか方向性を模索してたバンドですね。
当時は僕自身がソングライターとして開花してない頃で、ただ単に自分がやりたいからやってたていう、今思えば趣味の延長みたいな感じですよね。
次第に他のメンバーが「Boriさんだと売れない」とか「俺たちは売れるためにバンド組んだんだよ」とか言うようにになって。
「じゃあ女性ヴォーカル入れようか」という話になって、オーディションをやりました。その中で1人、衝撃的な女性ヴォーカルがいて。
美人さんなんですけど、「体っていうのは武器だから」って言いきっちゃうような人で。「自分は体とか声とかそういう世界で生きてきた」と。「そういう目でみると、君は甘いよ。もっと、しっかりしろよ。」とさんざん言われて。
そこで、僕はどん底に落ちたんです。結局その人はバンドには加入せず、嵐のように現れて嵐のように去っていった。でもその時の彼女の一言が、僕にとって音楽性を広げるきっかけになったんです。
フェミニズム的な要素が自分の中にある
紆余曲折ありつつ、今は『Haru & Bori with VJ Manako』という男女ツインヴォーカルのユニットをやっていて、このユニットでは、バンド編成っていうのにこだわらないようにしてます。
いろんな知り合いに毎回参加してもらっていて、バリエーションと自分たちの経験みたいなのを紡ぐようなことをして、今に至る感じです。
Photo by セオサユミ
曲を作る時に、女性ヴォーカルが歌うことを意識して作ったりするんですが、もしかしたら若いときにハマったQUEENの影響なんかもあるのかもしれないですけど、自分の中に男性的な側面の他に女性的な側面を持つ・・・みたいな。
多分、フェミニズム的な要素が自分の中にあるんでしょうね。
女性から「異性と話しているけれども、同性と話してるのに近い」みたいな。
自分でもそう思いますね。
初期衝動から始まったVJというライフワーク
Photo by セオサユミ
マイブラのフジロックで流されたVJの、その時の、その衝動
自分の中で一番のライフワークはVJですかね。
VJというのは『ビデオジョッキー』とか『ビジュアルジョッキー』の略で、イベントやライブ会場で映像を流す人の事です。
VJをやるようになったきっかけの1つは、自分たちでプロデュースした『音景-onkei-』っていう音楽イベントですね。
イベントをやるにあたって、特色を模索してたんですけど、たまたまバンド演奏の背景に映画を流しながらやってるバンドさんがいて、それがすごく印象的だったっていうのが最初のきっかけでした。
自分がVJ始める後押しになったのは、マイブラ(My Bloody Valentine)が再結成して、フジロックに出演した時。この時に流れたVJがとにかくかっこよくて。その時の、その衝撃。
それで自分もやってみようっていうきっかけになったと思います。
それまでは全く映像をやったことがなくて、そこから始まった。初期衝動みたいな。 全く誰からも教わらず、ほぼ独学です。やっぱり、最初はしょぼいですよ。しょぼいし、失敗も多いし。
でも、なんとか出来ちゃった所からスタートして、気づけば実質8年ぐらい経ってますねw
もっとそのバンドに入り込もうという意識
Photo by セオサユミ
VJっていうのは、基本音楽に合わせて映像を流すって所なんですけど、僕の場合は、もっとそのバンドの中に入り込もうとするっていう意識ですね。
そういう意味で、もっとバンドを知ろうとかそういった魅力はすごく感じましたけど、映像的にどんどん派手にしていこうとかは逆に無かったですね。もっと、この音楽にあう映像はどんなのだろうっていうのを模索しています。
ステージがあって演者さんが居て、その後ろに流すっていうのが従来のVJなんですけど、アミッドスクリーン(網戸を使った透過スクリーン)っていうのを使って、それを演者さんの前に映してみたりとか。L字型のステージなのでL字型に映像を映しってみたりとか。
最近はいろんなパターンの依頼がコンスタントに入ってくるようになって、その都度、「これどうやって形にしようか?」と頭を悩ますわけですけど。
それが、1つのVJ活動の遣り甲斐みたいなってると思いますね。
彼と出会ったことは、かけがえのない出来事
今まで関わってきたとても印象的なアーティストで、亮弦-ryogen-というソロギタリストがいたんです。
亮弦さんとの出会いは知り合いのイベントだったんですけど、僕が総合VJをやって、「なんか、すごい映像流してるね、君!」みたいな感じで声かけてもらって。
自分のライブでVJやってほしいと。それとミュージックビデオも一緒に作ってくれと。
もうその場で即決して、熱意をアピールするような人でしたね。
僕は、最初は少し警戒していて、少し距離置きつつ、「じゃあオファーしてくれたらやりますよ」みたいな感じで。そこから彼にVJをお願いされるようになって、徐々に僕らの繋がりが太くなってきました。
後に亮弦さんの病気が『悪性リンパ腫』であるということがわかるんですけど、この時はまだ病名もわからない状態でした。
亮弦さんは病気と闘いながらライブ活動を精力的にやってたんですけど、2017年9月、VJが終わって帰ってきて夜中に知り合いから彼の訃報を聞きました。
翌日みんなで最後の対面をしてきたんです。最後の最後は、とても安らかに亡くなったっていう話を聞きまして。すごくこう安堵というか。
亮弦さんは音楽がほんとに素晴らしくて、聴いた人は彼を神格化する部分があるんです。
でも僕が知ってる亮弦さんっていうのは、もっと子供っぽくて気さくでまっすぐな人。僕は、そっちの方にすごく惹かれたんですよね。
彼と出会って、一緒に色んな事ができたというのは、僕にとってのかけがえのない出来事でした。
人と人を繋いでくっつけることを自然にやってきた
Photo by セオサユミ
色んな痛い目にあいつつも、色んないい経験もしてます
いずれなんですが、女性だけのバンドをやりたいなって思ってます。
僕もある意味女性みたいな感じなんで、僕含めて全員女性、みたいな。
自分のバンドのアルバムを出して、レコ発をして、ツアーをやることっていうのは1つの目標ですね。
あともう1つは、VJ活動をもっと広げたいなってのがあります。
もっと大きいイベントというよりは、他の人が出来ないような表現ものに入ってきたいなって思ってます。
ちょっと綺麗ごとになりそうなんですけど、結局僕の音楽活動とかVJ活動っていうのはどちらかというと自分発信じゃなくて。
周りの人が声をかけてくれて、誘ってくれて、そこで形になって今に至るという感じなので。
色んな所に色んな人が僕を連れて行ってくれたことにすごく、僕はすごく感謝してるんです。
人と人の繋がり。
そういう経験させてもらった人達、みんなに対して尊敬の念はあります。
ステージを彩り続ける
Boriがライブで創り出す映像は、アーティストにとことん寄り添ったものである。
それは美しく、儚く、また激しく、ステージを彩っている。
彼が人と繋がり続ける限り、彼は時にVJという手法で、時にいちミュージシャンとして、表現を続けていくのだろう。
地球上のどこかのライブハウスで。
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