暮らしに、もっとサブカルを。アンダーグラウンド総合WEBマガジン

ディープすぎるトークの秘訣とは「TokyoREBANGA」主宰 野島レバンガ

SPECIAL

2019.2.5

トークイベント「TokyoREBANGA」主宰
野島レバンガ

グラビアアイドルや格闘家、アーティストを呼んでディープなトークを行う「TokyoREBANGA」。

そのイベントを主宰する野島レバンガ氏にインタビューを敢行。

すると、“自分がしたいこと”を追求する難しさと、代わりに得られる楽しさ、喜び、そのすべてを語ってくれた。

一から作り上げたイベントの面白さ

立ち上げ時から絶対に面白くさせる自信があった

「TokyoREBANGA」ではグラビアアイドルや格闘家とのディープなトークイベントを行っています。

ディープな、というのは、たとえばグラビアアイドルだったら、イメージDVDのリリースイベントとは違う、もっと深くその子に迫れるものにしようと決めていたんです。DVDの内容は雑誌のレビューとか見ればいいんで(笑)。

だから台本は一切ナシ。予定調和が嫌いなんですよ。必要なのはわかるんですけどね。

アドリブで話して、掛け合いして、その場で思いついたことからどんどん話が広がっていくと、いちばん面白い展開になるんですよ。タレントから予想だにしないコメントが出たり。

そもそも僕は30歳までお笑い芸人をしていて、その後芸能事務所のマネージャーをやっていたんです。そのつてと、芸人を続けている友人と「何かしたいね」と話していたこともあってイベントを立ち上げました。

イベントには菜乃花さんや清水あいりさんといった人気のグラビアアイドルが来てくださって、初期に箔が付いたと思っています。ゲストさえ来てくれれば絶対に面白くさせる自信があったので。

トークの魅力は変態的な“調べ癖”

マネージャー時代から、調べ癖があったんです。関わるタレントのTwitterやInstagramを毎日チェックして、現場で本人に会ったら「ストーカーかよ」って変態扱いされるくらい(笑)。

とにかく全部見るんです。一番最初までさかのぼるし、タレントになる前のブログも見つけてしっかり読む。スタバに行ったら何頼むかまで分かります。見過ぎて目がおかしくなったり、過呼吸みたいになったりもしますけどね(笑)。

けれどそういうことをイベントで話題にすると盛り上がるし、絶対にゲスト自身のパーソナリティーに迫れるんです。リアクションも面白くなりますし。タレントの実家の話とかなかなか聞けないですよ。

地下で開催するイベントなのでオフレコも多いですし、ここだけの話が引き出せるから、そういうところがお客さんに人気ですね。イベント終了後には「またやってください」って連絡が来ることも多いです。

留学、上京、芸人、しかし…

厳しい父に育てられて…

育ったのは普通の家庭でした。祖父は警察官で、父は会社の役員までなって、少しかたい家庭だったかもしれません。勉強していい大学に行けとよく言われていました。

テストの点が悪かったら、次にいい点数を取れるまでテレビ禁止にされたり。昭和の親父なので手も出ますし、父は厳しかったですね。でも今は両親に感謝しかないです。

高校を卒業した後は、アメリカに留学しました。映画を見て憧れて、無理矢理でも行ける大学を探して、けれど大学はすぐやめてしまって。

将来を考えた時「松本人志って神様だな」と思った

大学をやめた後は、ニューヨークやシアトルでバイトしたり、ふらふら遊んだり、そんなふうに過ごしていました。

すごく楽しかったんですけど、何かやらなきゃと若いなりに不安になるんです。「自分ってなんなんだろう」って。

同級生が大学を卒業する頃で、何がしたくてここにいるのか考えていて。そうして迷っていた時に、ふと友人の観ていたダウンタウンの番組を観て大爆笑して、「松本人志って神様だな」と思ったんです。

誰も1ミリも思いつかないことを言って、笑いをとるってすごいなって。自分もそうなりたいなと思って、芸人になろう、と決心しました。

暗黒時代からの復活

上京したのが22歳。芸人を目指して養成所に入ったのはいいものの、つまらなくて。ネタ見せで誰も笑ってくれないし、超縦社会で先輩にずっと見張られている環境に鬱になって、元々学校が好きじゃないということもあって、2週間くらいでやめました。

そこから暗黒時代が4年くらい続きました。借金抱えて実家がある岐阜に帰って、そこで働いて。

やっと借金が返せた頃に、地元の友だちと話して名古屋のお笑い養成所に通うことにしました。もう一度芸人に挑戦してみたいと思ったんです。

そこではオーディションを受けに行って、すぐに舞台に出してもらえることになりました。その時に出会った同期と、今一緒にイベントを立ち上げているんです。10年越しでこんなふうになるとは予想だにしていなかったですね。

その後再上京しました。やっぱり東京でもう一度挑戦してみたくて。

お客さんが10人しかいないとか、ドすべって一切笑いナシ、劇場の外の風の音しか聞こえないくらいスベることもありましたけどね(笑)

信念はいらない、必要なのは野望

社長とはだいたいけんかするんですよ(笑)

こういった海外経験と、親の厳しさもあるのか、自由を求めているのかもしれないです。やりたいことしかやりたくないとか、従うのがいやだとか、そういう癖がさらについたきっかけかもしれないですね。

それは会社員時代も出ていました。小さな会社に入ると、社長との距離が近いから、だいたいけんかするんですよ(笑)。

よく会社にいられるなっていうくらい、暴言はいたりしますから。社長がまわりの人に「なんであんなヤツ雇ったんだ」って言われるくらい(笑)。

言ったらダメってわかってるんですけど、相手が間違えてると思うとつい言っちゃうんです。自分が悪くないと思ったら我慢しないです。

でもクビになったことはないんですよ。いつもギリギリのところで許されるというか。それは何に対しても正直なところがあるからかもしれないです。

けんかしても言いたいことを我慢する相手は妻くらいですね(笑)。

信念なんかなくていい

調べ癖にも通ずると思うんですけど、昔から一つのものに対して一直線なんです。音楽も聞くだけじゃなくて歌手の人となりも調べて、にわかでもファン歴10年レベルかってくらい話せますよ。

「こちら情報局」って呼ばれるくらい、好きな人を調べることは苦にならない。代わりに嫌なことは一切やらないので(笑)。

昔からあまり信念なんかなくて、僕は「ちんねん」って呼んでるんですけど(笑)、軸とかいらなくて。

こうやりたいって思ったことが次の日に変わっていてもいいと思うんです。

真面目にコツコツやることは大事ですし、そうすればいつか花が開くっていうのはわかるんですけど、僕はそういう性分じゃない。

面白いからとか、チャンスがありそうだから、そっちに行く。どうしたらもっと早くとか、もっと楽しいことにたどり着けるのかってことをすぐ考えてしまうんです。

誰も用意してくれない仕事をする幸せ

人がやっていないことをやりたいと思っています。誰かを手本とするとか、こういうふうになりたいとか、こんな人になりたいっていうのはあまりないんです。

今もなんとなく自分でいいなって思ったことをしています。

今は好きなこととできそうなことがちょうどいいバランスで成り立っているので、誰にも指図されないですし、責任は自分で負えばいいので、気持ちが上向きになっていますね。

自分のやりたいことをやっても楽しいだけじゃなくて、大変なことも絶対に多い。けれど、誰も用意してくれない仕事を自分ひとりでできる幸せは、何物にも代えがたいです。

無謀な野望はずっと持ち続けたい

だから、朝起きた時に死にたいとか、冗談でも思わなくなりましたね。昔は死にてーなとか、なんもやりたくねーなとか、楽しいことがあってもどこか根底で思っていることが多かったんです。

お笑いもうまくいかないし、会社でもうまく立ち回れないし、あしたいなくなってもいいかなぁって。

でもいくらそんなことを思っていても死ねないし、消えないし。そんな気持ちになっても自分は生きちゃってるんで。

今、ないものを一から作っていくことができるのって嬉しいですよ。企画からフライヤーからキャスティングから、ぜんぶ自分でやっていて、それはぜんぶ好きなことなので。ずっと続けていきたい。

だから好きなことに対しての、無謀な野望はずっと持ち続けていきたいですね。

すきなものにとにかく一直線

信念なんてなくていい、すきなことをやればいい。

自分の気持ちを誤魔化しながら生きている人が多い中、こんなふうに言える人間がどれくらいいるだろうか。

波乱万丈の人生を送る彼が送る“ディープなトーク”を見てみたい方は、ぜひTokyoREBANGAに足を運んでみては。

INFORMATION

HP
Twitter
Instagram

RECOMMENDこの記事もオススメ