サブカルとお祭り文化が根付く街、高円寺。《和楽器BAR 龍宮〜Ryu Guw〜》は個性的な店が立ち並ぶこの街の中でも一際異彩を放っている。『龍宮』の宮司(オーナー)を務めるのが、和太鼓師 広純-HIROZUMIである。
ロックバンド『ゲビル』としても活動し、過去には俳優としての顔を持つ広純氏。周りの人はみな彼を「若」と呼ぶ。
今回は若のその生き様をたっぷりと語っていただいた。
生後8ヶ月から和太鼓と共に…
Photo by ossie
和太鼓産まれパンクロック育ち
俺は和太鼓産まれパンクロック育ち。って感じですね。
簡単に言うと2秒で納まりますね。
生まれは東京の清瀬です。和太鼓の家元に生まれ、幼き頃からずっと和太鼓と共に生活してきました。
47年続いている和太鼓の会の長が父で、いまでは総勢80名の会員がいます。
自分の師は親父です。
家では問答無用で和太鼓を打って育ちましたね!
そして物心つく前からステージにいました。
和太鼓を始めたのは母子手帳に記された生後8ヶ月からです。
俺は長男で、3つ下の妹がいるんですけど、妹も母も太鼓打ちですね。
太鼓一家です!
地域の不良少年たちが俺をやっつけるために待ち構えてる
思春期、小中学生時代とかは、町内の各地域のお祭りのやぐらの上で太鼓叩いてました。
目立ちまくりますね。
ちょうどその頃役者もやってたんで、テレビにちょうど出てる時期にやぐらの上に昇ってたんです。
良くも悪くも注目されるんで、いろんなことが楽しくて いろんなことが嫌で。
めちゃくちゃでしたね!
とにかく強くならなければということに必死で…。
やぐらの上で太鼓を打っていると、その地域の不良少年達が俺をやっつけるために待ち構えてる。
やぐらの上でも下でも負けちゃいけないっていうのはありましたね。
学校の中の同級生とは皆良い仲間でした!
俳優から音楽の道へ
Photo by ossie
この事務所に入ればミポリンと共演できるんじゃないか
俳優になったきっかけ…
純粋に中山美穂に逢いたかったんです!
ある日家の新聞に、『ママはアイドル』に出てた子役が所属してる事務所の広告が入ってたんですよ。
まさしくそれだ、と!
この事務所に入ればミポリンと共演できるんじゃないかっていう単純な理由!
ブラウン管の中に入っちまおうと!
普通の子にしてみればそういうのに挑戦するのってちょっとハードルが高かったりするんだろうけど、幼い頃から人前にさらされ慣れてるから、芸能界入りも平気でした。
腹くくって全てを辞めてバンドにシフトチェンジ
Photo by ossie
中学生からバンドをやってたんです。
18歳の頃に『ゲビル』というPUNK BANDで出発をしたんですけど、俺のテレビを観て来るお客さんたちで会場が埋まってしまった時…。
ある日バンド仲間が「俺たち広純の取り巻きみたいで嫌だな!」って。
ふざけたつもりだけど言われ…それに俺はハッとして、すぐ事務所に役者辞めますって言って、なんとか辞めたんです!
で、仲間を”1番”に腹くくって全てを辞めてバンドにシフトチェンジしました。
バンドに対しての想いが、その時は何よりも1番強かったですね。
仲間。とにかくバンドというよりも、仲間と組織で動くということが、俺の中で1番だったんです。
取り巻きと感じさせてしまうことはものすごく悔しかったんで…。
それからすぐにオニ剃り入れて顔中ピアスだらけにして、芸能の仕事が一切入らないくらいに自分を化えましたね!
ゲビルの活動を止めてから人生絶望
15年続けてきたバンド活動を、一回止めました。
続けてると 俺含め みんなそれぞれ罪を背負うんでね。やっぱ毎日一緒にいると。
濃すぎますね。バンドだけでも15年、小学校から考えると何十年になるんですよ。そうするとお互いの全てを知っているんで。
活動を止めるまでにものすごくスケジュールも立て込んでいたので、活動を止めるまでに1年かかりました。
もうダメだ…って時から1年かけて、消火活動っていうんですかね、鎮火するまでにものすごく時間がかかりましたね。
で、活動”封印”という言葉を選びましたね。みんな解散はしたくないということで。
バンドの活動を止めてから 正直人生絶望しました。
和太鼓の活動は変わらず演っていましたが寂しさの絶頂。
俺は仲間が好きなんです。
仲間がガソリンですね!!
龍宮誕生
Photo by ossie
ここは全てが俺の作品
このBARを始める前から『株式会社 Hero’s Me』(ヒーローズ ミー)という法人を運営しておりまして。
自分の本名の広純からとったんですけど、俺がヒーローズを斡旋する意を込めて立ち上げた芸能プロダクションです。
現在11期目。
俺がHeroではなくMeがHero’sを、っていう。
はじめは清瀬という町の駅前のマンションで事務所やってたんですね。
でもマンションの事務所でイベントの話をしてても、俺は ぶっちゃけ面白くなかったんですよ。
そしてこういうBARを創ってしまえば、例えばこういった打ち合わせでもその場で演りたいことをすぐ魅せられるなと。
事務所で打ち合わせしても湧いてきた応えを すぐ演れなかったんです。
此処(龍宮)ではリアルな臨場感で打ち合わせ出来る!
運営的にもここが事務所だったら、すぐお茶出せるし、すぐ見れるし、すぐ楽しめるし。
改めて集めなくても、ここに人が集うっていう。此の場で創れる!
俺の絵なんかも此処に飾ってますし、総て此処は作品なんです、俺の。
あと寂しがり屋の答え合わせとしては、来てくれるイコール俺に何かしらの興味を持ってくるじゃないですか。
だから安堵を覚えますよね。安心しますよね。テーブルに人がいると。
ゲビルのメンバーは滅多に来ないですけどね。(笑)
ここで演者さんの縁もできるしお客さんとの縁もできるし、そういう縁結びが、此処だとできるってことなんですね。
“円”より”縁”で!!
ここで飲みながら話してる普段の友達スタイルから、あれやろうぜ、これやろうぜの方が色んなことが産まれやすいです。
本当に嫌な人断っちゃうんで
Photo by コザイリサ
まわるまで時間のかかる取り組みと思ったのですが、龍宮のステージに立てるのは、完全紹介制・完全面談制なんです。
誰それ構わず此処に 演れるワケではないのです。
本当に嫌な人断っちゃうんで、俺。
「とりあえず演らせて」みたいな人は。
本当の”縁”で此処に出てもらってます。
そして和楽器のみならず アコースティックやトークショーや コスプレや お化け屋敷も演っております!
和を中心に 個性豊かで 毎日違う景色が観れる空間ですね!
和太鼓と共に
Photo by ossie
俺、やります
このBARに、まず、地元(高円寺)の人が来る事は少ない…そして来てくれる地元の方 めちゃくちゃ嬉しい!
お客さんとしてくるのは、つながりの人達。あとは勇気のある人!
確かに一歩足を踏み入れるのに勇気いりますよね。
自分で見つけて行こうと思ったらちょっと悩むかなと思います 。
街に馴染む為にも 毎年 この商店街で 龍宮発 花魁道中をやったりもしております!
で、俺やります。
5年後くらいに今やりますって言った意味が分かるかもしれない。
5年後に答えがわかる。
地域の人が来ない=やります。
意味深ですね。
再デビューしたい
近い将来はこれなのかな!
40歳からなんとか過去を切り離し、人生再デビュー。
これがこれからのテーマです。
過去を粗末にするわけじゃないけど、未来をもっと大事にする!
40代として新たに新人から始めたいね!
再デビューしたい!再デビューってダサいかね(笑)。
でもいいんだよ。俺は何度も失敗して生きてるし。
しかし…失敗で終わらせない そこで辞めたら失敗で終わる これが正解の為に水が出るまで穴を掘り続ける!
執念深いね!ひとつの人生で…
新しく生まれ変わる
俺ね、生きていながら何度も自殺してる。
自分を殺してるの。自我を殺してるの。
物理的に自殺じゃなくて、命を絶つことではなく、生き方を殺す。
これは役者を辞める時もそうだけど、創っては壊し創っては壊し の繰り返しで。
スクラップアンドビルド。
メイクアンド デストロイ。
破壊と創造。
自らの炎を焼き尽くしてから、新しく生まれるっていう感じ。
ひとつの土地があったらそこに建造物があったら壊すしかないんですよ。
壊すかリフォームなんだけど、俺は今壊したい!
40でその土地を1回空にしたい!
夢は太鼓になること
Photo by ossie
俺にとって和太鼓は、『今打った音は10年後20年後に響く』
かっこいいキャッチコピーだ。
『脱力こそ響なり』『俺の和太鼓は10年後に響く』…
月なのかって感じじゃない?
それは先駆者たちが創ってきたものだし。和太鼓やってるんだというプレミア感というか、それは本当に日本人が創ってくれたものだから。
それを背負って後世に伝えるにはやっぱ今の現場だけじゃない?後から響くもの。
俺の夢は和太鼓になること!
店の中に小さい太鼓が祀ってあるんだけど、死んだらアレになります。あの様に…
もうその皮を用意してあるんで。
用意してあると言うか、準備ね。
俺の皮で…寂しがり屋だから死んだ後も祀られないと気が済まない。
ずっと死んだ後もみんなと一緒にいるっていうか…
俺が死んだら やっと本当の若祭が始まる!
その為に今を尽くし生きる!!
死は通過点!
俺の和太鼓は未来に響く…
和大鼓と融合するステージ
この日は龍宮で和楽器イベントが開催されており、ライブの合間を縫ってのインタビュー敢行となった。龍宮のステージはとても神秘的で、ステージ上での若は、太鼓と一体化しているようにみえた。太鼓と若の肉体が魂が、ぶつかり合っているようで融合しているような、不思議な感覚に囚われる。和太鼓とともに生き、和太鼓になるという男の人生を、多くの人にそのステージで観ていただきたいと私は心から思った。
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