心の中の深い闇を歌うアーティスト、飯田カヅキ。
ロックバンド『strange world’s end』(以下、ストレンジ)の中心人物である彼は、幼い頃からの壮絶な体験を通して、今もなおその闇と戦いながら歌い続けている。
彼の歌は、気軽に聴くことはできない。全てを終わらせてしまいたくなるような、聴く側にとっても覚悟のいる歌である。
そんな飯田カヅキの過去から現在に至るまでを、深く語ってもらった。記事にするのが難しい内容も。
もしかしたら傷口を抉るような取材になったのかもしれない。彼の言葉は、まるで自分自身の痛みを確認する作業のようだ。
心に棲みついている病
Photo by セオサユミ
1日に1回は、死にたくなる
鬱的なもの、、、ありますね。今でもあります。
大体、1日に1回は、死にたくなってますから。
常々思うのは、何かと振り切った人間なんですよねぇ。振り幅が、結構凄いって言うんですかね。
仕事によって、たぶん鬱病が重くなったりっていうのがあったし。ただ社会的に病んでる人の気持ちを歌にすることができるという意味では、まぁいいのかな。
ライブ活動を止めたら死ぬ
2007年からずっとライブ活動をしてるんですけど、そこから活動を止めたことがないんです。
たぶん止めたら死ぬってのもあるんでしょうね。大変だけど、やっぱりやらないと抜けていかないんですよね。
これの面白いところは、ユニットで活動してる『飯田カヅキ×判治宏隆』の方だと抜けていかないんです。ストレンジか、ソロの時じゃないとダメなんです。
多分等身大になってる分のパーセンテージが違うので。
ストレンジの歌詞は、体験に基づいてるものがほとんどなのかもしれないです。全てじゃないんですけど、ほとんどは自分の部分を入れて。残りの少しに、上手く足して作る感じですかね。
飯田×判治の歌詞は、それとは真逆の手法をとってるんですが、ストレンジではあまりやっていないけど、これも自分の中では大事な要素ですね。
現実から逃れるために音楽を
Photo by セオサユミ
自分の家だとバレないように、わざわざ遠回りして
たぶん子供の頃から、精神状態としては極限だったんですね。
まぁ今は細かく話せないんですが5歳ぐらいからいつ死ぬか分からないっていう時もあるような状態だったんです。
とにかく凄く貧乏だったり平和ではない生活をしていて。
小学校の時に同級生から「何だ、あの豚小屋は!」って言われてる家があったんですね。
それが、うちだったんですけど。友達と帰ってても、そこが自分の家だとバレないように、わざわざ遠回りして帰るんです。
そういう中で、俺はもう一つの人格っていうのを作って、現実から逃げるようにしたんでしょうね。段々と妄想がちになるというか。
その中で、出会ったのが音楽だったんですね。少しでも現実から逃げるために音楽。簡単に言うと、そうだったと思いますね。
自分が衝撃を受けたのはNIRVANAだったんですけど、「こんなやつもいるのか」と「こんだけ、病んだやつもいるんだな」と思って、音楽をやってみようかなっていう気持ちになったんです。
ちゃんとバンド組んだのは高校に入ってからですね。その時のメンバーは今思うと、凄い良い奴らだったんです。
でもやっぱり、そういうの馴染めなくて。軽音部に入っても結局、すぐ行かなくなるんですよ。
高3の時に、友達と組んだLUNA SEAのコピーバンドで文化祭に出たら、盛り上がったのでそこから調子に乗ったんでしょうね。
飯田カヅキ=strange world’s end
それから紆余曲折あり、その時やっていたバンドも解散して次のメンバーもなかなか見つからなかったので、自分で歌詞を書いて歌って音源アップしたんです。
そしたら「凄く良かったんで、一緒にやらせてください」って言ってきた人がいて、当時のベースとドラムが入ったんですね。それで今のstrange world’s end としてのライヴ活動が、始まったんです。
それからは一回も止まらずに、ここまで来てますね。元々一人なんで。いわゆる、解散がないんですよね。
strange world’s end=飯田カヅキみたいな部分もあります。
今の3人ではバンドだと思ってるけど、最初は一人バンドってかたちで。
全部演奏して、自分で録音してミックスして。マスタリングまでして。
全部、アートワークもウェブサイトもやっていたんです。
制作もプロモーションも全部自分で
人に教わるという行為が死ぬほど嫌い
昨年春にセカンドアルバム『やっぱり、お前が死ねばいい』をリリースしました。
今回は宣伝・PR・流通など全部やったんです。基本的に、人に教われないんですよ。その人に教わるという行為が、死ぬほど嫌いなので。
例えばプレスリリース一つ書くのも、書き方を全部調べて送り始めたんですけど、段々載せてくれるところが増えてきました。
実際のバンド活動で言えば、曲作りから始まって、レコーディング、ミックス、マスタリング。
マスタリングまでいったらミックスのちょっと途中の時点で、今度はミュージックビデオの製作の手配をします。それからミュージックビデオの製作の打ち合わせをして。
マスタリングが終わったと同時に、流通業者とやり取りをして。リリース日決めて。ミュージックビデオがあがり、そのあとはメディアに連絡をして、リリース情報やインタビュー掲載の手配を取ったりとか。
そのあとにレコード店の営業ですね。タワレコとか発売前にはサンプル渡しに行ったり、もうこの辺になってくると全てが自分ではできない段階に入ってくるので(笑)
ジャケットのデザインをお願いしたり、並行してその間に取材を受けてリリース。発売されたら挨拶回り行ったりとか。
段々と初期の失敗を経て、今回のリリースがあるんですね。これを、前回に今と同じような動きができるかって言ったら、やっぱできなかったし。
多分これからもあると思うんですけど、「今それを知ってれば、もっとあの時にこうできたのにな」ってことが、沢山あるわけですよ。
失敗しながらやって来たっていうのは、自分の中で凄い意味のあるものだったなと思っています。
『鬱ロック』の先にあるもの
アイスランドに行ってみて
この間、アイスランドに個人的に、旅行に行ったんですけど。きっかけはビョークの『joga』っていう曲のPVを見た時。
当時アイスランドは「何を信じますか?」っていうアンケートをとった時に「自分自身を信じる」っていう人が、凄く多かったんですよ。と同時に、世界で一番の自殺大国だったんですよね。
要は「自分を信じる」って答えた奴らが、次々と死んでいくわけですよ。神様を信じるとか、宗教を信じるとかじゃなくて。以前「自分を信じた奴は、結局自殺に至る」とか、聞いたことがあって。
俺もやっぱり自分で死のうとしたこと何度かあって。そういうのもあって、どうしてもその場所に行って、その人達が見ている景色を見なきゃいけないなと思ってたんですよね。
約20時間ぐらいかけてアイスランドに行って。正直「帰れなくても良いや」って、ちょっと思った部分もあったんですよ。
そしたら、実はこの20年くらいで今やアイスランドは、国民の幸福度No,1ぐらいの、凄く幸福度の高い国になってる。すっかり自殺大国じゃなくなってたんです(笑)
ただ、そこに行った時に景色を見て場所を感じた時に、何でアイスランドの音楽が、ああいう音楽になるのかってことを、身をもって実感したんですね。
ほとんど、家に籠もるしかないんですよ。
とにかく何もない、刺激もないし、凄い景色も良いけど、ここには住めないなって。刺激がなさ過ぎて。
日本に戻った時に、やっぱ自分には自分たちの音楽。そこにいるからできる音楽、ものがあるんですね、やっぱり。その土地によって、俺は今ここにいて、アイスランドの人はあそこにいて。
俺たちが、アイスランドの音楽を真似て作ったところで、音楽とテイストは合ったとしても、やっぱり違うんですよ。
自分たちが東京にいて、東京にいるということを音楽にする。それが一番たぶん、伝わるんだなと思って。そういうのって、その土地にとか環境で、やっぱ生まれてくるので。
自分の作るものを変に濾過しないっていうか、再実感した感じですかね。
『鬱ロック』っていう言葉を使うのをやめた
Photo by セオサユミ
鬱ロックっていう言葉を、前回のリリースから出さないようにしたんですね。
『鬱ロック』を求めている層には、向けてはいるんですけど。多分このままでは、今より広がることはないし、流通会社との打ち合わせの中で新しいキャッチコピーが必要だってなりまして。
それで今の新しいキャッチコピーが『心の闇を突き破る、現代のエモーショナルロック』なんですけど。
自分がやって来た中で、鬱ロック的なものが音に出てるだけだし、俺自身は、実際は光が欲しいわけですよ。「俺、ちょっと憂鬱だぜ」っていう音楽ではなくて。
実はどれも、そういうところに手を伸ばそうとしてはいるけども、上手くいかないっていうことなんですね。だからそこを表現するには、鬱ロックって言葉で逆に上手く伝わらないんじゃないかと。
変えたことによって自分たちの中の、ちょっと何か視線て言うか目線が、ちょっと変わった感じがありますね。
前作でいうと『フロンティア』っていう曲がキーになるんですけど。あの曲は結構光に向かうような、人生観的な曲なんですよね。
実際自分が何もない時に口ずさむのが、『フロンティア』だったり。そう、だから面白い。自分の曲に救われることは、今でもあるんです。
徐々に光に近づいてるんですけど、でも近づくと眩しいじゃないですか。目を開けてらんないわけですよ。こっちは闇の中にいるんで。
だから、距離が必要なんですよね。
この音楽を聴いてくれている人が主人公
Photo by セオサユミ
ストレンジの野望は、意外と言ってもつまんないんじゃないかなって思われるかもしれないですけど、ずっと聴かれる音楽を作り続けることです。
なので、歌詞には時代を感じさせるようなワードは入れないようにしてます。アイコンとか。スポーツ選手の名前とか、出てこないんですよ。
本当はそれを書くことによって今現在を投影できるんですけど、そういう風にしないことによって、その時々で聴けるようにはしてあるんですよね。
それから良い曲をたくさん作って、引き続き活動していきたいなっていうとこですね。割と地味な感じなんですけど。
ライブは「もっと大きなとこでやりたいな」ってとこはあるんですけど、自分たちを変に大きく見せようってことは考えていないですね。
聴いた人が判断するものだし、聴く人が俺は主人公だと思ってるし。
自分の中から何も出なくなったら。その時は、もうそこまでですかね。それまでは、ひたすら精進じゃないですけど自分の中の音楽が尽きない限り、生涯ストレンジをやっていくんじゃないですかね。
きっと人生そのものなんでしょうね。
光差す方へ向かって
飯田カヅキの代名詞でもある『鬱ロック』。
ずっとその世界観を作り出すものが何なのか考えていた。
それは想像を遥かに超えた壮絶な経験と、今なお逃れることが出来ない苦しみの中で生まれてきたのだろう。
そしてその『鬱ロック』の先には、一筋の光が見えてきたようだ。その光は彼の音楽をどのように照らしていくのか。これからの彼の姿を、私も追い続けて行きたいと思う。
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