『パブリシスト』
聞きなれない言葉だが、アメリカではメジャーな職業であり、エンタメ業界のみならずPRを必要とする様々なセレブには欠かせない存在である。
まだ日本では馴染みのない職業であるパブリシストとしてフリーランスで活動をするTomoko Davies-Tanaka 氏に今回は話を伺った。
どのようにして彼女はパブリシストになったのか?パブリシストという職業とはどんなものなのか?
まるで『パブリシスト』のPRをするように、たっぷりと語っていただいた。
彼女は、日本の音楽業界を前進させてくれる大きな存在である。
サブカル少女だった
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洋楽好きの家族の影響で
音楽に触れたきっかけは、親が音楽が好きだったのね。
母が好きだったのはジャズとかシャンソンとか、ハリウッドの映画音楽とかが好きで。父はカントリーとかフォークとか。お母さんの機嫌がいいと、サウンドオブミュージックやエーデルワイスを台所で歌い、父はフォークギターを弾きみたいな。
自分がすごくロック好きになったのは、当時まだそんな洋楽とか情報番組があまりなかった時代で。
当時の小学生って土曜日はお昼前に帰ってくるじゃないですか。
帰ってくると、NHKでレッドツェッペリンの狂熱のライブとかを流してたりとか。
すると、白い馬に乗ったロバートプラントが王子様に見えるわけですよ。素敵!みたいな。
世の中的にはたのきんとかに憧れてるのに、私は何を間違ったかデヴィッド・ボウィ、デヴィッド・シルビアン、デヴィッド・バーンが3大デヴットだ~とかねw。
そこからは泉麻人さんやピーター・バラカンさんだったりとか、NHKのサウンドストリートとか。あとマガジンハウスや宝島系の雑誌とかも読んだりして、サブカルな方向に行くわけですね。
世代だと思うんですけど、モラトリアムの小説読んで、うじうじ暗くUKインディーを買いあさるアタシみたいな。だれも知らねえだろみたいな。
暗いっちゃ暗いし、中二病っちゃ中二病だし、自意識過剰っちゃ自意識過剰だし、っていう感じで。
進路指導の先生に言われて、カチンときた
高校になって大学に行こうかどうするかって考えてるとき、夜中にテレビでジョンレノンのマディソン・スクエア・ガーデンのライブがやってたんですね。
『MOTHER』を聴いて、なんでかわかんないけど、こういう音楽を世の中のいろんな人たちに知ってほしいと思って。
今考えると「ジョンレノンなんてみんな知ってますよ」って思うんだけど。10代の私に突っ込みたい。「そんなもん知っとるわい」みたいな(笑)
私ね、絶対一生忘れないと思ってることが一個あって。
高校時代の私は不良でもないし、でも扱いやすくもないみたいな。いわゆるサブカルな子?
だから別にすごく怒られたりすることもなかったんだけど、一部の先生にはなんかよくわかんない子って思われてたと思うのね。
進路指導の時に先生にこれこれこういう音楽専門学校が今年できますと。そこに行ってみようと思いますって言ったの。
そしたら「ああ、あなたはね、そんな世界じゃなきゃやってけないわよ」って言われて。
もしかしたら良かれと思って「あなたは普通のOLさんになるよりも、そういう世界にいた方がいいかもね」っていう意味で言ってくれたのかもしれないけど。
「あんたはね、どうせろくな生き方できないのよ」って言われた気がして、すごいカチンときたのをいまだに覚えてる。
音楽業界からPRの世界へ
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面接ではなぜかケンさんとF1話で盛り上がって
音楽の専門学校に進んで、学生時代にいわゆるラジオの制作会社でのADのアルバイトを始めたんです。男の子と私、2人いたんですよ。
卒業するタイミングになった時に、そこに就職するかしないかみたいな話になって。私がどうしようかなともやもやしてるうちに、その男の子の方の就職が決まっちゃって、そこに。
そしたら知り合いの構成作家の方が、「なんだ田中あぶれちゃったのか。じゃあ俺が知ってるところが探してるから受けてみるか。」って言われて受けたのがソニーミュージックアーティストのメディア制作部門で。
その時の面接担当が、直属の上司になる人と、後に私のパブリシスト人生に大きく関わることになる渡邉ケンさんという人だったんです。
メディア制作は、SMAの著作権管理部門の組織的には下に位置してたのかな?当時は。とにかく渡邉ケンさんは、その著作権管理部の方だったんですが。
面接ではなぜかケンさんとF1話で盛り上がって。
当時はセナ・プロが盛り上がり始める1歩手前で、私も深夜に良くレースをテレビで良く見てたもんで、好きなドライバーは「マンセルです」とか、生意気なこと言って。
ケンさんは既にF1を現地に観に行ったり、関係者にも知り合いが多かったんで、今、思い出すと赤っ恥ですね(苦笑い)
で絶対にこれは落ちたと思ったら、受かってた。
SMAでは主にFMラジオの番組制作に携わりました。
アメリカで制作された番組を再編集して日本のラジオで流したり、日本ではなかなか手に入らない海外アーティストのインタビューを使った番組を制作したり。
当時はバイリンガルDJが流行っていたので、アメリカやカナダでDJをしてた人がDJをする番組とかもありました。
SMAでは7年くらい働いて、それから知り合いの伝手で電通系の派遣会社に登録して、いわゆる派遣OLをやったの。
世間一般の事を何にも知らなかったんで、デスク業務とか。
社会勉強的な時代を過ごしましたね。
パチンコ業界でがっつり広報を
派遣OLをやっていた前後くらいからいから、音楽産業不況の時代が始まってたわけですよ。もう音楽業界には絶対戻れないし、戻れたとしても安定してないし不安だし。
ちょうどその頃、全国で展開するパチンコ・チェーン企業の専従広告代理店に友人がいたんですよ。
彼は広報業務を担当してたんですが、人手も足りてないからちょっと来てよみたいな話があってそこに行ったんです。
当時パチンコ産業は上がり調子な市場だったんですね。
パチンコのことは全然わからないしやったこともなかったんだけれども、わからないことが逆に広報だから活きてくるかなと。
外から見るとよくわからないと思うんですけど、パチンコ業界ってすごく規制がたくさんあるんですね。その規制も地方ごとに違ったり、毎年改正になったりとか。宣伝にも沢山の規制があって。
そう言う状況だからこそ、広報は非常に重要だったんですが、それを理解している人は、なかなか…ね。
業界としても健全化とイメージ向上を図る為、地域貢献活動なども行ったりしてましたけど、そう言った事も含めて、やはり社会的認知や地位がまだまだ高くはないので、それなりの苦労もあったり。
色々なエピソードありますよ。ま、ここではちょっと話せませんが(苦笑)
ありとあらゆる広報業務におけるシチュエーションを学ばせてもらいました。
在職中には取材対応はもちろん、お客様からのお問合せ窓口もやりましたし、新卒採用の広報物の制作や、企業イメージ・キャラクターの提案や企画・運営、Websiteも含めたオウンドメディアの運営、マスメディアを使った宣伝及び広報、それに危機管理広報的な事案対応もしました。
広報業務以外にも、デカい組織の中でどう企画を提案するかとか、全然広報や宣伝に興味の無い人たちに対して、どう理解してもらうか?とか、他部門との連携とか、男性ばかりの社会でどう立ち回るかとか。
本当にキレイごとだけじゃない、それこそ「島耕作シリーズ」的な(笑)。
仕事や組織に関するアリとあらゆる事を学ばせてもらいました。
そう言う意味では、非常に感謝はしてますね。
感謝をしてるというか、私も頑張ったんですけどね(笑)
フリーランスのパブリシストに
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構想の一環のモデルケースとして、いいサンプルになるなと
東日本大震災が発生したり、自分も結婚したり、広告・宣伝の規制が厳しくなったりと色々とあったので、12年~13年間勤めたパチンコ・チェーン企業の広告代理店は、2012年末に辞めました。
それから3ヶ月くらいたった時、海外にいる友達から「英語はそこそこで良いから、出版とかエンタメとかについて明るい人で、コーディネーション出来る人いないかって、相談されたんだけどやらない?」っていうような話を頂いて。
英語は日常会話程度は話せましたし、夫がオーストラリア人なので、困ったら彼を連れ出しゃいいか、みたいな感じで仕事を受けたんです。
でもそんなに忙しいわけでもないし、プラプラしてたら、SMA時代にお世話になった渡邉ケンさんが代表を務める、インディーズアーティスト、スタッフの支援をする団体 『TOKYO BOOT UP! (日本版SXSWを目指して、音楽見本市を2010年~2013年にかけて開催) 』 で、パブリシスト養成講座なるものを始めると。
「そんなのやるんですね、じゃあ私もそんな仕事してたし受講しに行こうかなみたいな。」「来て来て」みたいな話で。
そうこうしてるうちに、ケンさんの作戦で「こいつは使えるな」って思ったんじゃないですか?
あるアーティストの広報的なことをやってみないかみたいな話があって。並行して『TOKYO BOOT UP!』も手伝うことにもなり、フリーランスでパブリシストとして活動をすることになって。
その頃ケンさんは、インディペンデントミュージシャンが、エージェントとパブリシストと契約をして仕事をするみたいな、アメリカの音楽ビジネス・スタイルの形を日本でも構築できないかと、様々な場所で啓蒙含め活動されてたんですね。
その構想の一環のモデルケースとして、私がいいサンプル例になるなと思ったんじゃないですか?期待外れだった気もしますが(笑)
アメリカでは、パブリシストの地位が確立してる
パブリシストってクライアントのニーズによってやる仕事が全然変わってきちゃうんですよ。
だからパブリシストってこういう仕事です、こういう業務内容ですってことを一概には言えないんですね。
アメリカのエンターテイメントビジネスは日本と全然違って、アーティストが主体となって、エージェント・マネジメント・パブリシストとそれそれ個別に契約をするという形なんですね。
日本のパブリシストっていうのはじゃあアメリカのパブリシストとイコールかっていうと、たぶん違うと思うんです。その辺は私も模索している最中ですが。
もし定義をするなら、クライアントのことを宣伝も含めてたくさんの方々に知ってもらうための企画をしたり、運営をしたりするのがパブリシストだというのが分かりやすいかもしれない。
イベントの運営企画もやるだろうし、もし自分一人でできなければイベンターと連携してやることもあるかもしれない。もちろんメディアもそう。
宣伝なんかはクライアントの代理人となって、広告代理店と折衝をするってこともあるだろうし。
あと私が対応しているので多いのはSNSの企画・運営・管理。
これも自分が実際に作業するかどうかは別として、オウンドメディアをどういう風に運営していくかっていうのも、広報業務の一環になるだろうし。
とにかくありとあらゆることがあるけれども、基本はクライアントのことを世の中に広く知ってもらうことをするのがパブリシストですと。
脳を常にアクティブに
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女性はパブリシストに向いてる
料理は好きですね。料理好きっていうか、すごい凝った物作るというよりか、それも仕事の延長なんだと思う。
晩御飯作るのも、これとこれくっつけたら、何かできるんじゃないとか。美味しくなるんじゃないかとか?どうやったら効率的にできるのかとか、そういうの考えたりとか。再現できない料理も多いですけど(笑)
たぶん脳みそがそうなってるんだと思う。常に妄想癖、常に進行管理(笑)
最近歳とってきておばちゃんになってるから、人とのコミュニケーションを取るハードルも下がってて、それはこうやって食べるとおいしいわよとか、まったくの初対面の人に店先で言ってみたりとか。
でもたぶんパブリシストに必要な要素の一つとして、おばちゃんの自分がいいと思ってるものを人にも勧めたいって気持ちは若干必要。おしゃべり好き、薦め好き。
そう言う意味では女性向きの仕事でもあると思いますよ。
男性がどうこうってことではないんだけれども、コミュニケーションだったり、伝達だったり、女性の方が得意とする要素が多い職業ではあるので。
基本PCと自分自身が居れば何とかなる職業なんで、フリーランスで働く事の敷居も低いです。
ただこういうこと言っちゃうと、じゃあ私も明日からフリーでって思う人もいるかもだけど、それはやめて(笑)
そこは責任取れないし(笑)、ある種企業を相手にする、社会の仕組みだったりとかそういうのにコミットしていく仕事でもあるから。
一度は会社という組織とか社会とかをざーっと見たうえでフリーになった方が楽だよっていうのは言えます。
まだまだこれからも勉強しないと
インターネットに国境はないので、今やっている仕事も半分は、日本語と英語でSNSの記事を作成したり、プレスリリースを書いたり。海外メディアとも英語でメールやチャット等使いながらやりとりしています。
簡単なコミュニケーションは別として、記事やリリースは、オーストラリア人の夫に最後のチェックはしてもらってますけどね。
英文はもちろんの事、やっぱり表現方法が日本とは違ったりもするので、そこはローカライズもしなくちゃいけないし。
言語だけの問題じゃなく、日本の感覚だけでPRしようとすると、誤解を招いたり、受け入れてもらえない事も多々ありますから。
夫が全世界について詳しいかって言えば、そうじゃないけど、基本的な欧米の感覚は理解しているので。彼は大学でジャーナリズムも勉強しているし、そう言う意味では英語も海外向けの表現も指摘してくれる、ありがたいパートナーでもあります。
とは言え、せめて言語だけでも、自信をもって書いたり喋ったり出来るように勉強はしないとだめだなあとは、常に思っています。
夫からの細かい英語指導は日々あるし、覚えようとは努力してるんですけど、甘えが出るのね。家族だとダメですね。
そんな訳で、英語の学校にも行ってます。さぼり気味ですが(苦笑)
メディアも日進月歩で変わってくので、それはちゃんと追いかけたりとか、時々勉強するとかっていうのはしていかないとなっていうのは思ってる。
経験があると、逆に手癖でなんでもやっちゃうので、それを自分の常識だけでぱんぱんって判断して、これはこうだからこうってやってっちゃうと、世の中がどんどんどんどん進んでて、気が付くと、「え?」みたいなことになるから。
だからこそ若い子たちにも教えてもらおうと。おばさんに色々聞かれて迷惑かもしれないけど(笑)
まだまだこれからも勉強していかなきゃね。
フリーランスのパブリシストとして
「白髪を染めなくなったのはフリーになってから」と語る彼女。
自分の特徴を相手に印象付けることは、フリーランスとしての強みになるそうだ。姑息な手でもいいから覚えてもらう何かは必要とのこと。
『白髪の人』『Daviesって名前』そういったことを全てプラスに活用する。
Tomoko Davies-Tanaka の存在は、音楽業界にとっても、女性にとっても、実に心強い。
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追記:彼女がサポートしているアーティスト他のPRをこの場でもさせてくれ!と本人からのオファーがあったので掲載。ぜひインタビューと併せてチェックして欲しい。