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過去のトラウマを肯定する自然体の画家・高橋岳人

ART

2018.11.7

「背中から腕が何本も生えた少女」、「脳内にサボテンが植わっている男」、「頭に船を乗せた女」。オリジナリティ溢れる作品は、どこか物憂げでシュールな雰囲気に満ちている。

「過去のトラウマが自分を支えていると語る」のは、画家の高橋岳人だ。

彼はどうやって今の作風をつくりあげたのか。絵描きになることを決心した背景から、作品のコンセプト、これからの展望に至るまで、じっくりと語ってもらった。

突き付けられたハンディキャップ。それでも諦められない絵

絵はコミュニケーションツールだった

絵は保育園児のころから好きでした。流行ってたキャラクターとかを模写してて。小学校でも漫画のような絵を描いて、友だちに見せたりとか。

基本的にはみんなと同じように遊んでいたんですけど、1人遊びも好きだった。誰も居ないのを見計らって、校庭の隅でグルグル回って「人間ドリル~」って(笑)。それを校舎から兄に見られてて「やべぇな、岳人。意味不明すぎる」って。それから兄に「意味不明王」って呼ばれてました。

自分から友だちを作りにいくことは無かったですね。絵を描くことで、周りに注目してもらって仲良くなる、みたいな。会話が苦手な自分にとって、絵はコミュニケーションツールだったんです。だから時々ギャグのような絵を書いて、友だちを笑わせようとしてました。

誰かが笑ってくれるとコミュニケーションがとれたみたいで嬉しかったんですよね。

高校では、授業が終わる少し前に1人だけ教科書片付けて、真顔で教室から出ていくとか(笑)。ちょっとシュールというか、ナンセンスギャグみたいな。

あなたは色覚障がいだから絵には向いていない

小学生の写生大会で賞をもらったんです。中学でも絵を褒めてもらうことが多くて、絵を学んでみようかなって。

午前中に中学校をサボって近所の絵画教室に話を聞きにいったんですよ。そしたら先生から親に「学校に来ていません」と連絡があったみたいで、親から「なんでさぼったの?」って聞かれたんです。

「絵画教室の先生と話をしてた」と答えたら「あなたは色覚障がいだから絵には向いてない」みたいなことを言われたんですよね。

あのときはすごくショックでした。

人と同じように色を認識できないことを、はっきりと自覚した瞬間ですから。

それで絵を描くことから離れようって。中学ではバレーボール部に入部したんです。でもやっぱり絵に未練があるんですよね。だから途中で退部して更衣室で絵を描いてました。高校でも同じです。ボート部に入ったけど辞めちゃって。図書館にこもったりしてました。

失恋の苦しみが生んだ「はじめての自己表現」

ゴッホだって色覚障がい

そのまま地元の島根県の大学に進学しました。やっぱり絵を諦めきれずに美術部に入部したんです。それで一度、色覚障がいについてちゃんと調べてみようって。

そしたら「そんな重く考えることじゃないな」って思えた。

ゴッホだって色覚障害だし、絵を諦めるほどのことじゃないなって。

ただ、美術部には指導者がいなくて、部活はゆるめでした。僕自身もまだ表現したいことはなかったですね。

「コミュニケーションの失敗」が自分のコンセプトに

大学在学中にはじめて恋人ができました。でも別れてしまった。これは大事件でしたね。

「ヤマアラシのジレンマ」っていう寄り添い合おうとする2匹のヤマアラシが、お互いの針で傷つけあってしまう寓話があります。恋愛ほど、他人との距離が近づくコミュニケーションはないんじゃないかなと思う。

小学校のころから他人とうまく関われなかった僕は、その最大級のコミュニケーションに失敗して深く傷つけ合ってしまったんです。

とにかく悲しかった。「なんで?」って。「どうしてこんなことになったんだろう」って。誰か「助けて」っていう気持ちになりました。そのときはじめて内面から湧き上がるような感情に気づいて、キャンバスにぶつけたんですよね。

これが僕にとって初めての自己表現です。

ものすごく暗い絵ができあがりました。それをネットにアップロードしたら銀座のギャラリーから「今度、うちの展示会に出してみないか」って。それではじめて東京に出てきたのを覚えてます。

失恋して表現欲求が生まれて銀座のギャラリーからオファーを受けたことを誰かに話したくて、高校の美術の先生に会いにいったんです。それで自分の現状を相談しました。

彼は「自分の絵によって、自分が救われないといけない。絵はそういうものだ」って。その言葉は今でもよく覚えていますね。

自分の内面がキャンバスに顕れるから自分と対話できるし、客観的に見て分析できる。すると余裕が生まれて、気持ちが軽くなるということに気づいたんですよ。少し落ち着いて辛かった当時のことを考えられた。

もとをたどると「失恋」。つまり「コミュニケーションの失敗」が自分のコンセプトになっています。人生の起点とか、アイデンティティーといってもいい。ここが自分のターニングポイントでしたね。

駆け出しの自分にチャンスをくださった

大学卒業後も失恋のショックを払拭できなかった。それで銀座のギャラリーで展示したことを思い出して、半ばやけになって上京したんです。お茶の水の画材屋とか、図書館で働きつつ絵を描くなかで「デザインフェスタ」の存在を知ってすぐに応募しました。

巨大な壁にライブドローイングで描いていくんですけど、下書きはしません。

一発勝負。ため込んだ暗くて暴力的な感情をぶつけるんですけど、他の方のドローイングを見るとテイストが全然違って……。自分はちょっと浮いているような気がします。

それでもはじめて参加したときに、とても嬉しい出会いがあったんです。

下北沢でセレクトショップを立ち上げようとしていた方が絵を気に入ってくれて。「よかったら今度立ち上げるお店の壁に絵を描いてくれない?」って。

「三叉灯」っていうお店なんですけど、まだ駆け出しの自分にチャンスをくださったのがすごく嬉しかった。2日で書き上げました。

よく2日で描き終えられたなと(笑)。今は多分できない。

あのころは上京したてで人脈もない。とにかくがむしゃらだった。当時の気持ちを忘れちゃいけないと思っていますね。

三叉灯さんは今でも個展の会場を貸してくれたり、自分の絵やポストカードを販売してくれたり、サポートしてくださっています。三叉灯さんから新しいつながりが生まれることもあって、本当に感謝しているんです。

過去のトラウマを肯定するという画家の矜持

トラウマに支えられている。それでいい

絵のコンセプトはずっと変わりません。「コミュニケーションの失敗」です。

まず構図を決めます。そのときにモチーフを考えることもありますね。人を傷付けることを「サボテンのとげ」で、不安定で行き場がないことを「船」で、いつ破綻してもおかしくない関係を「糸電話」で。「手」は「救いを求めること」のモチーフです。

一時期は「傘」を多く描いていたんですけど、これは「レインマン」。つまり自閉症です。自閉症とかアスペルガーの方が抱える「コミュニケーションの悩み」に共感することがよくあります。モチーフに意味付けするのは、おそらく宗教画の影響ですね。

よく「失恋」をテーマに絵を描きます。「一対一の男女」とか「女の子」が頻繁に登場する。これは過去のトラウマがまだ生きている証拠。

トラウマによって自分のアイデンティティーが形成された。トラウマに支えられている。それでいいと思うんです。世間は「前向き」とか「ポジティブ」とかを推してますけど、ネガティブをエネルギーにしたっていいでしょう。

自分が表現したいのは、もっと醜い感情

2018年3月に仕事を完全に辞めて、絵だけに専念することにしました。

これから絵を売らなきゃ生きていけないから、売れそうな可愛らしい絵を描いてみた時期もあったんです。でもちょっと気持ち悪かったんですよね。自分はもっと醜くて未熟で暴力的だろうって。だからあんまり可愛い絵を描くのはやめました。

その後、画廊とセレクトショップの2箇所で展示会を開いたんですけど、後者のほうが自分に合ってるかなって。洋服店に来る人って、絵に深い関心がない方のほうが多いですよね。

絵に詳しい人に評価してもらいたいわけではない。

ただ自分と同じようにコミュニケーションの悩みを抱えている方に見てもらいたい。

最近の言葉でいえば「コミュ障」とか「社会不適合」とかそう自負している方々に見てほしいんです。日ごろの悩みを少しでも解決できる存在でありたい。

正直に、未熟で暴力的で醜い絵を描くこと。共感してくれる人が何かを感じてもらえたら嬉しい。自分を救うための絵が結果的に誰かの救いになるかもしれない。

共感してもらうことで、自分も赦されたような気になる。

「ネガティブでもいいんだよ」って。

「あるがまま」だから生まれる作品のエネルギー

「ネガティブがエネルギーになってもいい」。そう語る高橋さんは、とても穏やかな顔をしていた。確かに世間では「ポジティブ」や「前向き」という言葉がメディアを席巻している。しかしそこには「無理」がある。自分を偽ることのむなしさがある。

高橋さんはあるがまま、無理をしていない。だからネガティブを肯定できる。マイナスをエネルギーにして創作にぶつけられるのだ。彼の作品はSNS世代の若者にこそ響くのではないか。人付き合いに悩む人にこそ、何かを感じていただきたい。

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