圧倒的な存在感を示した子役時代。恵まれた経歴をあっさりと捨て、突如芸能活動を休止。『ハイパーメディアフリーター』として世間を驚愕させる。とにかく彼の周りにはセンセーショナルな風が吹く。
黒田勇樹。
今の肩書きは『脚本、演出、監督、俳優』。
このニュースな男の新たな挑戦は、日本の芸能を変えていく。
36歳男の初めての一人暮らし
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実家・同棲・実家・同棲・結婚・実家・同棲
1人暮らしを始めたんです。36歳なんですけど、やっと自活をしてみようという意識が生まれました。
僕、実家・同棲・実家・同棲を繰り返していて。
実家・同棲・実家・同棲・結婚・実家・同棲みたいな感じですね。完全な1人暮らしが初めて。
舞台の稽古に行って帰ってくるじゃないですか。牛乳の賞味期限が切れてるんですよ
でも舞台の稽古って行って覚えること死ぬほどあるから、朝「やべ、牛乳買って帰んなきゃ」とか思っても一切覚えてなくて。
どうしてだってすごい思いましたね。今までは誰が俺の牛乳をどうしてたんだ。
あれが一番衝撃でしたね。
僕、基本的にはダラダラしてる人で。
彼女ができて1~2年すると、「ちょっとこれは女の子もいるし一生懸命働かなきゃな」って、忙しくすると別れるっていうことを繰り返してきて。
だから1人のうちに忙しくしてみようと思って。そういう時にできた彼女とだったら幸せになるんじゃないかなって。
でも一切できない。遊びの女だけが増えていく。忙しい隙をついて遊びに来る女の子しかいなくなる。
お金と体力は面白いもんを作るための道具
1人暮らしした直後に1本作演出の舞台をやって。でも家に翌日帰って何もない、1人暮らしの家で。
すげー虚無感でかかった。面白かったのに分かち合う人がいない。
なんにもないじゃないですか1人って。
こんなに面白いもんを一生懸命作って家に人がいれば楽しかったね、みたいな。
生み出した対価よりも、それを共感できる人がいるっていうことが大事だった。それが大事だというか恵まれてたんだなと。
そういう人との繋がりをまた実感する機会になったっていう。
でもそのギャラで冷蔵庫買って。したらなんか1週間2週間くらいして、毎朝冷たい牛乳飲めるの幸せだなと思うようになって。
それから作品を作る度にちょっとずつ家具を、最初安いのでバッって揃えたから。いいものに変えて。
普通がわからない子役時代
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0歳でデビューして
親が、両親ともに芸能関係の仕事をしていて。テレビに出ているのが当たり前だったんですね。
おばあちゃんとかに「なんでばあちゃんだけテレビ出てないの?」って聞いたりしてた。
赤ちゃんモデル、0歳でデビューして。
安達祐実ちゃんとおむつのCMで共演してる。洗剤かな、おむつかな?忘れちゃったけど。
5歳ぐらいの時に、母の知り合いのマネージャーさんが「絶対勇樹なら受かる」って言ってオーディションに連れてってくれて、大河ドラマでデビューした。
真木蔵人さんの息子っていう役で。ちょっと顔が似てたんですね。
母は俳優業やらせたくなかったらしいんですけど、なし崩しにもう1回やったからいいでしょって。
自分はすごい好きだったんですね。
子供の頃って水泳だか野球だかみんなでやるじゃないですか。
サッカーだった野球だったみたいな話の時に、「すいませんみんなそれをしてる時に演技をしたんで球技と水泳ができないっす」って。
みんな夏休みに球と戯れたり水と戯れるじゃないですか。でも夏休みしか舞台とかできなかったから。
ファミコンとか、波動拳とか出せない。
普通がわからん
ちっちゃい頃から一流の人と仕事してたし、ギャラは全部観劇に使わしてもらってて。
年に300本とか、2万のオペラだ2万の歌舞伎だ含めてなんでも観たいって言ったものは観させてもらえてた。
今若い子に「どうしたら黒田さんみたいなセンスになれるんですかね」って言われたら、本数観ろよって。
本数観れば観るだけ、そのジャンルの一番面白いが蓄積されるじゃんって。
俺はきっと面白いもの観てきてるから、一番面白いの知ってるっていうのを君たちはセンスがいいって言ってるだけ。
実になってるでしょうね。こういう時どうしたらいいかやっぱり人より正解に着くのが早い。
「普通の人とどう違いますか」みたいなことをよく聞かれるけど、普通がわからんと思って。
特殊というよりはそれが普通だったから。恵まれた環境ではあるけども。
でもファミコンがやりたかったり、大学生でキャンパスライフ楽しみたかったりした子からすれば恵まれてない環境かもしれない。
ある種その星の下に生まれた使命だったと大人に言われるし、自分でも言われたら確かにそうだよなっていう感じでもある。
28歳で芸能界を離れる
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『ハイパーメディアフリーター』と呼ばれて
28歳できっぱりやめるって言って辞めたんですね、芸能界。
その時は競争社会じゃないですか。でも僕全く競争心が全くなくて。子役からやってきたから向こうから当たり前に仕事が。
10年20年苦しんでやっとこの役が掴めたみたいな人たちとあまりにもモチベーションが違うなって。
ぼーっとしてたら仕事がくるし、ちょっとやればうまいって言われるし、わからんと思ってて。
席を譲ろうと思って。
他の仕事もしたことないし、してみようって3年くらい社会に出てた。
逆燃え尽き症候群だよね。燃え尽きてないっていう。
で、週刊誌にすっぱ抜かれたんです。アルバイトしてて、転落人生みたいな。
「いや、転落じゃなくて転職だ」ということ高らかに言おうと思ってメディアに出まくってたら『ハイパーメディアフリーター』って呼ばれたっていう経緯がありまして。
正確には、呼ばれて面白いから俺も名乗ったみたいな。
なんか最初はメディアに反論がしたくて出たっていうだけだったんで。
なんなら僕はあれですからね、YouTuberの走りですからね。
最初にああいうことをやりだした芸能関係の人、僕だと思う。なんか面白くしてやろうみたいなことは思ってましたね。
バイトでは半年で主任に
引っ越し屋でバイトもし始めて、週5でやってたコールセンターのバイトでは半年で主任になって。
たまにテレビ呼ばれて行くとプラス10万円お小遣いみたいな。
結果、また苦労せず。
コールセンターって色んな人が電話かけてくる。
すごい雑な言い方をすると、人間って言っている言葉の内容より声の印象で内容を受け取るから、コントロールし放題じゃないですか。
俺上司の代わりに謝ったことありますからね。上司の上司のふりして。
役者スキルをそこで使う。
でもコールセンターの仕事は、演技の勉強には本当になった。
台本を読んでるだけではこんな悪い奴いないだろうとかって芝居しかしてなかったから思ってたけど、社会に出ると悪い奴がいっぱい。
豆知識。「役者はコールセンターのバイトで演技の勉強しよう。」
悪い奴がいるっていうのは、本当に勉強になりました。コールセンターはある意味即興演劇みたいなものですね。
また芸の道へ
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ちょっとやってみたら演技もすごい楽しくて
それから31歳ぐらいの時に、最初は演劇の講師の仕事を。お金もないし仕事は何でもしなきゃって。
その講師をしているときに生徒さんを使って半年に1回映画を作るという話になって。
実は僕、映画監督になるのが夢だったんです。そんなことはできやしねと思ってたらまさかの話が来て。
すごい嬉しいと思ってその仕事を受けて、映画撮ったりしてるその前後ぐらいに、今度は飲み友だちとふざけて劇団を作った。劇団という名の飲み会みたいなもの。
事実1年半は公演もせずに、ただ飲んだり練習したり飲んだりみたいなことをしてた。
その頃から、「もう1回一緒に舞台やろうよ」とか誘ってくださる俳優さん方がいらっしゃったりして。
ちょっとやってみたら演技もすごい楽しくて。
じゃあもう1回腹くくってやるかと思って、この5年ぐらい自分たちでユニット作ったりとか脚本書いたり出演したりし始めたんです。
『第一部、完』
講師の時に生徒たちと撮った映画が、ゆうばりファンタスティック国際映画祭に出展されたんです。
何百本の中から40本みたいなのに選んでいただいて。
それまではちょっと後ろめたいところもあり、声をかけていただいた小劇場とか自分でプロデュースした公演とか出ながら、勉強というかリハビリみたいに思ってたんですけど。
ゆうばりが受かった時に、ある事務所に「さすがに1人で映画監督どうなのっていって、メディア対応難しいだろう」って、事務所入んない?って声かけて頂いて。
もういっかいちゃんと芸能界やろうかって思いましたね。
それはもうガッツポーズしました。
『第一部、完』て言いました帰り道で。
漫画だったら、『黒田勇樹の人生。第一部、完』じゃないですか。
17歳で山田洋二さんの映画に初めて出たんですけど、17歳とかって将来の話いろいろされるじゃないですか。
その時、「好きなことやっていいんだったら映画監督やりたいな」って、山田さん見て思ってた。
10年20年そんなチャンスは来ないだろうなって思いながら、ちょっと勉強してたりして。
ころころころっと色々動いたら、いつの間にかここまで来た。
山田洋二さんの映画出た時に、ご褒美でゆうばりに連れてってもらったんですね。
その時に全然何の映画にも関わってないのにプロデューサーの人に俳優の黒田勇樹君来てますからひと言どうぞって言われて、「じゃあ僕自分の初監督作品はゆうばり持ってきます」って言ったんです。17歳の時に。
その17年後にゆうばりに行くことができた。面白かったですね。
ちなみに第二部の頭は、酒で体を壊す、女に振られる、ボロボロな感じでちゃんと漫画仕立てで始まってます(笑)
今は第二部の途中かな。大きく12に分けた時に、3か4くらいですね。予兆と挑戦というとこですね。脚本の書き方であるんで。
ロッキーで言うところのトレーニングの始めたところ。1回負けた後。
面白くなかったらそれはもう『死』
新しい事務所に入って、「じゃあせっかくなんで次は商業映画撮ろう」ってなったんです。
色んな人と話して、プロデューサーがついて、企画を立てたりした時に、そこまではぼんやりとこうだなって思ってたのを全部理論にしようとか、人の知らない奴やつも勉強をしようとか思ったんです。
1年すごい勉強しましたね。元々はちょっとしてたんですけど、仕事にする覚悟にして勉強した。
役者も演技理論があるけど。それは人にあんまり言うことじゃない。
でも監督とか演出とかになると、予算出してくれる人にプレゼンしなくちゃいけないから。
理屈でちゃんと分からせないといけないとか、映画もお金出してくれるんだから、ここはこういう理由でこうだからこうなんですって言わなきゃいけないっていうことなんですよ。
結局全然その映画の話は実現しないまま、その事務所辞めたんですけど。
でも勉強する良い機会だった。
それからまた別の新しい事務所に入ったら、まさかの作る仕事が死ぬほど来て。
死ぬ気で作らなければいけない。
面白くなかったらそれはもう『死』だから。
薄々感づいたのが、ちょっとでもこうした方が面白いなとか、こうしたら良くなるなって予感が浮かんだことに対して誠実にした時しかうまくいかない。
ちょっとでもめんどくせーなとか、本当は2、3方法が思い浮かんでいるのに怠けた時には音を立てて崩れていくから。
なんか作ってくださいって言われてポッて思いついた面白いことに対しては、一生誠実でないといけないというのを体が覚えちゃったっていうプレッシャーが一番でかい。
だからちょっとでも、もっとこうしたら面白くなるけどあと3日しか稽古ないのに変えてもなって思った瞬間に、やべえ作品が死ぬと思って。
じゃあどうする、誰に謝ればいいかって。どうすればいい。
考えるのはいいの。でも怯んだらダメ。
最終的に俺が思ってたものと違ってたけど、「面白かったよ」って言われればそれはそれであり。
すげー簡単に言えば、「演劇ってこう」っていう人に全然違うやつを見せて、「僕は好きじゃないけど面白かったですね」って言わせて「勝った!」みたいなね。
黒田人生のゴール
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これは恋愛できないな
ひどい話ししていいですか?
この間とある舞台の初日の前日に、プロデューサーからご飯食べに行きましょうって電話があって。
確かにその人に「先月末に台本あげます」って言ってたのに、台本上がってなくて。ご飯食べに行って「台本どうですか?」って。
「今晩ぐらいには上げますって。あとちょっとなんで。10ページぐらい。」本当は40ページくらいなんだけど。
次の日本番じゃないですか。台本書かなきゃいけない。
プロデューサーと飯食った後の夜11時ぐらいに仲の良い女の子呼び出して、俺ムラムラしてると台本書けないからつって、その女の子をめちゃめちゃに抱いて、寝かせて。
そこから自分はパソコンに向かって、ギャーって40ページ書いて。朝5時ぐらいにその女の子叩き起こして、3時間で起こしてって言って。8時に起きて本番に行くって。
大人になってきたから手段は色々選択肢。これは恋愛ができないなと思って。
女の子には、出来上がった作品思いが面白いから観てって。来月楽しみにしてて。
それはねクリエイターとしてはありだけど、人としてはなしだから。かなりもう黒田勇樹っぽいエピソードみたいな感じだよね。The黒田勇樹。
死ぬまでに映画を10本撮りたい
僕は死ぬまでに20本映画を撮りたい。長編映画を10本撮りたい。10本。死ぬまでに10本。
100年後ぐらいに1人ぐらい、黒田映画を研究してレポート書く大学生がいたら爆笑。俺の人生のゴールなんですけど。
ゆうばりに行ってから2年、去年は監督をしなきゃなって思ってたんですよ。
だから本当は上半期に貯金をして、下半期に良いお仕事が見つからなかったら自主映画でもいいから撮ろうと思ってたんですね。
そしたらまさかの上半期に作る仕事が死ぬほど来てたんですね。
テレビドラマの監督のお仕事や、友達のお誘いで自主映画も撮ったり。お世話になってる劇場からも、数本書いてくれって言われて。
大きな計画は今から建て直さなきゃいけない。そんなこと言ってるとまた次の仕事が来て。
ジョンレノンが言ってた。
「人生とはあなたが計画を立てている時に起こる他の出来事である。」
最後は映画を撮ってたいですね。
映画とか小説とかって、人間が1回しか人生を歩めない時に、人の人生を垣間見るためのものだと思うんですよ。
僕の人生って珍しいじゃないですか。
これを存分に提供していくこと、人生の提供には映画が一番向いてるかなって。
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黒田勇樹の人生を提供していく
人生の第二部真っ只中の黒田勇樹。彼の語る未来は、壮大で希望で溢れている。しかし、それは決して夢物語ではない。
覚悟を決めた男の人生を提供した黒田映画、いつか私達は観ることができるだろう。
黒田勇樹は他に代わりはいない。今後の芸能界にとっても唯一無二の存在で、私はそんな彼の活躍が楽しみで仕方がない。
- INFORMATION
黒田勇樹最新 作・演出舞台 「リライト!」
2019年2月21日~3月3日まで三栄町LIVEにて上演
TOKYO HEADLINE 黒田勇樹のHP人生相談
CAMPFIRE 黒田勇樹 スキルアッププロジェクト