CDジャケット、マーチ、フライヤー・ポスター。どれを手に取っても彼が生み出すデザインはシンプルに「カッコいい」。
UI/UXデザイナー、クリエイティブディレクターとして数々のメジャーアーティストのプロモーションツールをデザインする傍ら、自身のバンドはもちろんの事、多くのインディーズアーティストからデザイナーとして絶大な信頼を受ける西山史朗。
彼のルーツはどこにあるのか?
歩んで来た道、スタンス、これからのビジョンを語ってもらった。
好きを仕事に
得意なこと以外は全部苦手
俺、好きなことしか頑張れないんですよ。得意なこと以外は全部苦手で。小さい頃からそうで、興味が沸かないと一切集中できないし、小学校の時から嫌いな先生の話は一切聞かないで授業中はずーっと絵を描いてたし。楽器を弾くのも好きだったんだけど授業中に楽器は弾けないから、授業中は絵描いて、昼休みになると楽器を弾きに音楽室とかスタジオへ行く。夜バイトから帰ってきたら寝落ちするまで楽器弾いて、楽器抱いて寝るって生活を高校生まで続けてた。「絵を書く」っていう行為が「デザイン」や「モノづくり」に派生していったのは、音楽やバンドをやっていたからっていうのが大きいと思います。
20歳から28歳まで8年間、初台WALLっていうライブハウスで音響の仕事をしていたんですけど、自分の力だけで得られるものには限界を感じていて。
音響の仕事にはプライド持ってやっていたし、安月給な音楽業界の中で当時の年齢にしてはそこそこのお給料ももらってたんだけど、キャリア的にも収入の面でもそれ以上を目指したいってなった時に、自分の技術的な努力だけでは解決できない壁を感じて。自転車操業のライブハウスの中にいたんでは、どんなに頑張っても限界があるなっていうのがあったんです。そのぶん楽しさや、その特別な空間にいることで得られる経験とか、プライスレスなものはたくさんあったんですけど。年齢的に、周りが普通の企業で出世したりとか、結婚して家庭を持ったりとかしていくなかで、取り残されていくような焦りも感じ始めてて。
そんなことを考えてたタイミングで東日本大震災があって、職場や周りの環境がガラッと変わった。最初は余震の危険があるため営業見合わせ。それが落ち着いてきた頃には、今度は「こんな大変な時なのに音楽なんて不謹慎だ」「貴重な電力の無駄遣いだ」みたいな風潮から、イベントの延期やキャンセルが立て続いて。さっきも言ったけどライブハウスなんて自転車操業だから、数ヶ月そんな状態が続いたらハコの家賃も俺らの給料ももちろん払えない。給料がもらえないと俺も自分の家賃が払えない。それで、職を探さないといけないってなった時に考えてたのが「何か自分の好きなことで、頑張った分だけのし上がれそうな世界」ってのをぼんやりイメージしていて。それで思いついたのがデザイナーの仕事やWeb業界だったんです。
思いついたキッカケというか特に印象的だったのは、震災当日に交通機関が機能しなくなったんで、恵比寿で働いてた友達と安否確認の連絡を取り合って、お互い家に帰れないから中間地点の渋谷でビールでも飲むかって話になって。それでケータイで地図を見ながら初台から渋谷に向かって歩いてたら、一般の人たちは都心から何とか帰ろうとして民族大移動みたいな大行列を作って渋谷方面から歩いてきてて。俺一人だけその大行列に逆行しながら歩いてたんですけど、行列の人たちがみーんなケータイの画面見ながら歩いてるんですよね。ケータイってすごいな、これがもっと便利になったらもっとすごいことになるだろうなってそのとき思ったんです。今、まさにそうなってますよね、いつの間にかネットやスマホが最重要インフラのひとつになってる。当たりでした(笑)。
切って貼って手描きで絵を描いたのが初めてのデザイン
どこからデザインと呼んだらいいのか分からないけど、今のクリエイティブの原型に近いものでいうと、高校出てすぐぐらい頃に、当時やっていた自分バンドのライブ告知のフライヤーを作りはじめたぐらいからかな。当時影響受けてた80’sから90’sのアメリカのバンドみたいに、紙を切って貼ってモノクロで、手描きでジム・フィリップスとパスヘッドを混ぜたみたいな絵を描いてていうのが楽しくて。ペン1本でひたすら点描してみたり。
それまでは、絵を書くってなるとマンガを描いてたんですよ。コマ割ってセリフつけて。それをクラスの友達が読むっていうのが、アウトプットの手段だったんですけど。あと小中学校の頃は月刊ガンガンで当時やってたドラクエ4コマに投稿したりとか。ケント紙とGペン買ってきて、スクリーントーン貼ってとか、わりと本格的にやってました。掲載されると現金がもらえたんで(笑)。そんな感じだったのがグラフィカルなアウトプットになっていったのは、バンド始めてからですね。
そこから、音響の専門学校で Photoshop とか Illustrator とかのデザインソフトを手に入れて、パソコンでもデザインし始めて。初めて人に頼まれて作ったのはRatchildってバンドのロゴでした。覚えたてのイラレをこねくり回して、Ratchildのボーカルと一緒に、あーでもない、こーでもないって言いながら。初のクライアントワークですね、ノーギャラだったけど(笑)
それからそいつとよくジャケとかTシャツとかを作るようになって、そいつが「こんなイメージのデザイン創って欲しい!」って言ってきたのを「ちょっと待って、それどうやって再現すんだ?」って試行錯誤しながら。今でこそ、ググったらデザインツールの使い方やチュートリアルなんかの情報がネットに山ほど転がってますけど、…もしかしたら当時もあったのかもしれないけど、そんなことも知らずにただひたすら手元にあるものをこねくりまわして、なんとかそれっぽく再現するっていう。それも遊びの一部でしたね。小学校の時に絵を描いて遊んでた延長で。だんだん再現できるものが増えていったり、再現度が高まっていくのが単純に楽しかった。
1回自分でやってみないと気が済まない
その頃は本当になんでも作りましたね。
動画の編集やってみたり、マーチに関してもデザインだけじゃなくて手刷りもやってみたし、音源を作るにもジャケのデザインだけじゃなくて自分でレコーディングやミックスをしてみたり、レーベル作って流通かけてみたり。打ち込みで音源作ったりとかもやってましたね。そういうのをまるっと含めて「モノづくり」が好きだったんでしょうね。
とりあえず1回は自分でやってみないと気が済まなかったんですよね。一回全部やってみて、得意じゃないこと、やりたくないことは俺は頑張れないから、これより先は信頼できるやつ、俺より得意なやつにお願いしようっていう。
デザイナーと言っても広義なので、俺の今の主な仕事はWebデザイナーだったりUI/UXデザイナーと言われる分野なんですけど、それも自分のバンドのホームページを作ってみようっていう興味から、作り方とかを自力で覚えるところから始まって。やってみたら「これ楽しい、これ得意なやつだ」ったっていう。仕事にしてからも、基本的には自分が欲しいものとか必要なものとかやってみたいことを、自分で作り方を覚えて、自分で作ってみるっていう繰り返しでスキルを身につけていくっていう基本スタンスは同じです。
あと、これは今でも根底にあるテーマだったりするんですけど、「アナログ感」にこだわっていて。例えばステンシルっぽいデザインを造りたければ、それっぽいフォントを探してきたりパソコンで加工して再現することもできるけど、そこをあえてスプレーとステンシル買って実際に吹きに行ったりしてました。デザインツールは便利だし、熟練度が上がるほどなんでもパソコンの画面上だけで再現できる気になっちゃうんですけど、結局リアルなもの、人の手とか自然によって産まれる不完全さとか、「味」みたいなものはデジタルでは再現しきれないと思っていて。そういう部分にこそ、人を惹きつける魅力があるんじゃないかと。これは音楽作る上でもデザインする上でも、一番大事にしてることのひとつです。
飛び込んだプロの世界
音楽の仕事しかしたことなかった
いざ仕事を探し始めると、面白そうだなって思う制作会社は履歴書送っても軒並み門前払いだったんですよ。色んな会社に書類落ちして改めて気づいたんですけど、「そういえば俺、音楽の仕事しかしたことなかったな」ってなって。高校出てすぐ小岩のリハーサルスタジオでバイト初めて、その後ライブハウスに入って、就職活動始めるまでの10年間。採用する会社側から見たらフリーター同然で、30歳手前の実務経験ゼロの素人を採るメリットなんか何もないよな、と思って。
それで思ったのが、音楽の仕事辞めてデザイナーになるんじゃなくて、音楽に関わるデザインをすればいいんじゃないのかと。Webデザイナーの就活って履歴書と一緒に自分が作ったデザインのポートフォリオを送るんですけど、俺の場合バンドのホームページとかジャケとかフライヤーとか、そういうのを送ってたんで。そんな時にちょうど、メジャーアーティストのホームページとかをやってるIT会社がこれからデザイン部門を作りますっていう求人を見つけて、そこにポートフォリオを送ったら、ピンポイントでそのポートフォリオが刺さって。うまく転がり込んだ感じですね(笑)。
そこから本格的に、仕事としてのデザイナーのキャリアが始まりました。
お金をもらって仕事をするっていうマインド
ライブハウスにいた頃は仲間のバンドや出演バンドに頼まれて色々作らせてもらったけど、当時はプロのWebデザイナーはどういう段取りで、どんなクオリティーで何をするのかっていうのをちゃんと理解してなくて。最低限のマナーとか、締め切りを守るとか。結果的に期待を裏切ってしまったこともあったし。
プロになって、デザインの技術的なところで言えば「通用するじゃん、俺!」っていう感じだったんですよ。だけど、そういうお金をもらってキッチリ仕事するっていうマインドがいかに足りなかったか、っていうとこを痛感したのはすごく覚えてますね。
基本的にあんまり他人に興味がなくて、自分と自分の好きな人達のこと以外どうでも良いと思ってる人間なんですけど。ビジネススキルとして相手のことを考えて行動するっていうのを、本を読んだり人から話を聞いたり意識して学び始めたのがデザインを仕事にしてからの一番の変化だと思います。
デザインをコーディネートする
Webデザインの仕事って、洋服を着せてあげるのに似てるなって思うんです。コンテンツやプロダクトこそが主役で、デザインはその良さをいかに引き出すかっていう、あくまでサポートの役割で。
例えば、アーティストのWebサイトをデザインするってなった時に、ステージの舞台演出とかCDジャケットとかのアートワークにはめちゃくちゃこだわって世界観を表現してるアーティストでも、自分のホームページのデザインになると無頓着だったり、要望してくるものがダサかったりする。でも今の時代ホームページのクリエイティブって、そのバンドのブランドビジュアルを形成するうえで他のアートワークと並ぶぐらい重要な要素だと思ってて。ファンからしても、ライブに直接行ったりCDのブックレットを開いて見る機会より、ホームページを開く機会の方が全然多いじゃないですか。だけどその重要性がいまいち認識してもらえてないなって思うことは多くて。
だからデザイナーはコーディネーターとして、どんなふうに着飾ればその個性や世界観が一番魅力的に見えるかっていうのを、「要望と少し違うかもなんですが、こういうのが合ってると思いますよ」みたいな提案をしたりします。基本的にはクライアントの要望が第一なんですけど、そういう風に考えて要望とは違うものを出すと、案外それが気に入ってもらえて採用になったりするんです、わりと高確率で。そういう瞬間が楽しみというか醍醐味だったりはしますね。
逆に、どんなに美しいデザインでもコンテンツに魅力がなければただのハリボテで、一見凄そうに見えるけどけっきょく何の価値もない。高級ブランドで着飾っても人間の中身が伴わなければ魅力がないっていうのと同じ。そういうところも洋服と似てると思います。
デザイナーとして見えてきたもの
カルチャーをデザインしたい
デザインって見た目を作るだけじゃなくて、言葉としては本来「設計」って意味なんですよね。だから目に見えないものに関しても、例えば行動デザインっていう分野があったりとか、UXデザインっていうのは「体験」をデザインする分野だし、ライフスタイルを提案するっていうのもデザインで。
それだけ広義だし細分化された中で、俺は職業としての肩書きは通り越して、漠然と「カルチャー」をデザインできたらいいなと思ってて。もちろんそれは今やってるグラフィックデザインとかWebデザイン、UI/UXデザインありきで、その先にあるものだと思ってるんですけど。
例えば今やりたいことのひとつに、自分のバンドマーチのブランド化計画っていうのがあったりとか。
もともとマーチのデザインをやり始めたのは、自分でこういう服が欲しいっていうのがあって、出来合いのものを買えばそこそこ高いとか、欲しいものと微妙に違うとかで、だったら自分で作っちゃえっていうのがきっかけだったんですけど。
それを買ってくれて、着てくれる人がいる。そういう人が増えてくれるのはもちろん嬉しいんだけど、基本的には自分で着たいじゃないですか。で、人と同じもの、みんなが揃って着てるようなものって着たくないじゃないですか(笑)。
そうなると、自分の着たいマーチデザインがどんどんシンプルなものになってきて、それがもうバンドマーチの枠を超えてきて、極論バンドロゴもなくていいぐらいの。じゃあどこにマーチとしてのアイデンティティを持ってくるかっていう。
それを着ることの価値自体をデザインするみたいな、表面的なデザイン性を飛び越えて、じゃあそれはクオリティーの細かいところ、着心地とかそういった付加価値なのか、変な話ミニマリストやエコロジストみたいな精神性なのか。とにかくバンドマーチの「安かろう悪かろう」みたいなのを覆したいんですよ。それが覆せたら、それはもうインディーバンド界隈における新しい「カルチャー」だと思うんですよね。
それをどうデザインするか、っていうのを今考えてるところなんですけど。
記憶にも記録にも歴史にも残る何か
俺らよりもっと先輩の時代だと、書いたものが紙のまま後世に残ってたり、音源がアナログで残っていたり、映像や写真もフィルムで残っていたり。多分俺のそもそものモノづくりのモチベーションが、形に残るもの、自分が死んでも残るものを作りたいっていうのが根源なんですけど。最近思うのは、今の時代は形のあるものを作っても、例えばCDとかをちゃんとプレスして世に出したとしても、消費されて破棄されて行っちゃうんだなぁって。
一発作れば何十万人が見るようなプロジェクトをデザインしたりもしましたけど、それも決して一生残るものじゃないし。仕事として商業デザインをしてみたことで、自分でバンドやレーベルをやるにあたっても本当に残る、残される価値のあるモノを作るにはどうしたらいいかっていうのを、より強く考えるようになりましたね。「記録より記憶」みたいなのも、記憶してる人が死んじゃったら残らないじゃんって思って。
だからこそ、記憶にも記録にも歴史にも残る何かをしたい、っていうのがぼんやり考えてる野望です。
自分の中にあるデザインというスタイルを創る
好きなことを仕事にすると嫌いになるという話をよく耳にする。
そんなことは彼には関係ないのかもしれない。
好きなものしか頑張れない。自分のこと以外どうでも良い。つまり好きなことは、周りに目もくれずとことんやる。
彼の目には、嫌なものなど見えず、その先にはビジョンのみがあり、彼のそのスタンスを彼自身でこれからもデザインし続けるのだろう。