横浜市鴨居の賑やかなショッピングモールと真反対に位置する閑静な住宅街。
その中にどことなく馴染んだ音楽スタジオがある。「スタジオあぢと」だ。
オーナーの本莊利之氏にライブハウスのPA、店長代理からスタジオオーナーとして彼の「あぢと」を作り上げるまでの彼のこれまでの奮闘を話してもらった。
憧れた裏の舞台
表より裏の世界の方がカッコ良い
PAっていう仕事をちゃんとやろうかなって思ったのは18、19歳くらいだけど、そういう仕事があるって知ったのは高2ぐらいの時。
単純にきっかけはマジで下心全開の、「有名人に会えるかもしれない!」みたいなのがあった(笑)
裏方やってりゃ有名人に会えるんじゃねぇかっていうのが始まりかな。
お袋がずっとクラシックで音楽の先生やっていて、当時はJ-POPなんか聴かせてもらえなかった。
高校が文化祭だけバンドがライブをやるのを許される学校だったんだけど、友達がライブやるっていうから観に行った時に「やっぱ音楽って良いな〜」って思って。
自分でも楽器をやりたかったけど、親にエレキギターなんて「そんな不良がやるものはダメだ」って言われてたから。
そこで裏方の仕事に目をつけ始めた。
実家の近くにあるPA会社があって「お金いらないんでちょっと仕事させてください」って言って1週間だけ、交通費も全部実費で連れて行ってもらって。パシリみたいに扱われてたんだけど。
でもそこでみた景色がスゴくて。裏方の世界って、こんなにスゴいんだっていうのをそこで初めて知ったんだよね。
なんか「表より裏の世界の方がカッコ良い!」みたいな、ちょっとひねくれたところもあったかな。
与えられるものだけじゃ多分追いつけねぇ
高校卒業と共に両親に、大学行かないんだったら家出てけって言われて、実家を追い出されて一人暮らしが強制的に始まった。
その時に、しっかり自分のやりたいこと決めて、そのために何をしなきゃいけないかを考えてやってかないと、あっという間だなと思って。
そこからは1年働いてお金貯めて音響の専門学校に入った。
そこで裏方の重要性っていうものを改めて知って。自分から覚えていかないと、与えられるものだけじゃ多分追いつけねぇっていう自覚が芽生えた。
やっぱ現場を見ると、どんどん気が引き締まって行くし、周りの人のそういう空気もあって。
PA、エンジニアとして自分の手に職をつけたいっていうのもあったし、もっと手っ取り早く現場を学ぶにはどうしたら良いか、って考えた時に、毎日現場に入れるライブハウスで働こうと思って、関内の24WESTに入った。
ただ、高校卒業してからは自分もバンドをやるようになって、表の世界も裏の世界もやろうって気持ちに変わってたから欲張りだったんだろうね。
PAの初日から先輩が休みでいきなり一人立ちすることになって。
何とか本番を迎えて、先輩も途中から心配で来てくれたんだけど、アンコールでやった曲の途中でブレーカーを落としちゃって(苦笑)
初現場が印象的すぎて、その後のことは結構色々あったけど覚えてない。
ただ臨機応変に対応する判断力、その判断の瞬発力みたいなものをスゴく得れたかな。
専門に通ったからこそ得れた天職
自分のバンドだけ録れればいいなと思って
24WESTで働いている時に出演している身内のバンドのレコーディングをするようになったんだけど。
レコーディングの方は、PAを学ぶためにいった専門学校での2年間の中での選択授業で選べて、こういうエンジニアも面白いなぁ〜って思ったのがきっかけ。
最初は自分のバンドだけ録れればいいなと思ってたんだけど、先輩が「うちのデモ録ってよ」って言ってくれて。
PAはその場で勝負しなきゃいけないじゃん。
でもレコーディングってその場で音決めて録った上で、その後もまだ勝負は続くわけ。
そこが面白くて自分には合ってるかなぁと思った。
ライブハウスで働いているから、どこかのスタジオを借りる事もないし、みんなも来やすかったから恵まれた環境だったね。
自分でレコスタ持ったら超カッコ良いな
24WESTが閉店して、録る場所が無くなってしまった時に、ぼんやりと自分でレコスタ持ったら超カッコ良いなみたいなのを妄想して。
身内のバンドが来たらワチャワチャできるし、自分でレコーディングもできて、自分の練習もタダだし、これは最高だなって(笑)
その時って23,24歳くらいだったからお金も無くて、1日を生きるのが精一杯だったから。夢みたいな感じで思いつつ、毎日アルバイトして。
毎日現場にはいれなくなった分、まずCDを聴いて、そのクレジットにどこのスタジオで録ったとか書いてあるのを見て、使ったスタジオのホームページから機材を調べて。
更にその機材を調べて「こんなに値段するの!?」とか思いながらバイト代で手の届く機材は買いつつ自分のバンドで録ってみて、っていうのをやってた。
押し付ける正解は必ずしも正解じゃない
当時始めたレコーディングのアルバイトではラッパーが多くて。
全然HIP-HOPの事はわからないけど、その頃はラッパーのレコーディングばっかりやってた。
トラックはみんな全部自分達で作ってくるから、こっちの仕事は声の録音とミックスだけ。トラックは2ミックスになっているって感じで難しい事はしていなかった。
バンドでレコーディングやってると、リズムが走るとか歌が走ってるとかあるけど、HIP-HOPはそれが通じなくて。
明らかに今ハマってないなって時があるんだけど「いや、これがいいんだよ」って言われて。
あーやっぱジャンルもそうだけど、人によって正解が違う。
エンジニアが押し付ける正解は必ずしも正解じゃないなって。
HIP-HOPのレコーディングを経験したことによって、音色やOKテイクって自分本位じゃダメだなって。
俺はこっちのが良いと思うけどねって言っても「それは自分らしさ出てないっす」って返されたり。
またそこで面白いなぁ〜ってハマっていくんだけどね。
理想をカタチにするために
自分のスタジオを持つっていう夢
24WESTを辞めて2年ぐらい経ってかな。友達のバンドがレコーディングやってるって言うから覗きに言った先が今の『あぢと』で。
スタジオの設備は他に比べたらボロかったんだけど、オーナーの人柄にもう惹かれちゃって。
翌日から練習スタジオを全部ココにした。自分もレコーディングをやるから、意見交換だったり、どうやってやるのかアドバイスもらったりするのがずっと続いてた。
ある時オーナーから電話がかかって来て、「あと2ヶ月で地元に戻らなきゃいけない。で、誰かがやってくれないとここを潰さなきゃいけないんだけど、やってくれないか?」って。
当時やってたバンドが止まっちゃったばっかの時で、失うものがなかったというか、自分一人だしどうなっても大丈夫だなっていう時にこの話が来たから、めちゃくちゃテンションが上がって。
ただ、レコーディングはやってたけど、ほぼ知り合いしかやってない状況だったし、自分の店を構えた時に知らない人をやらなきゃいけないって考えると若干怖い部分もあった。
バンドが少なくなってるって状況も分かっていたし、宅録が割と安くシステムが整えられるようになってたから、スタジオとしての価値があるのかって考えた時に、ちょっと怖いなと。
でも自分のスタジオを持つっていう夢を現実にしてしまうのは、今だったらできる、やるしかない!って踏ん切りつけた感じ。
暇だからとりあえず掃除とメンテに明け暮れた
俺がオーナーに就いてすぐはめちゃくちゃ暇だった(笑)
3日電話鳴んねーとかあって、マジやべーなと思って。
一応店の営業時間が11時から夜中の2時までで。それで夜までいて今日の売り上げ600円かぁ〜とか思いながら、他のスタジオの情報見たり、どうしたら良いんだろうか、って考えてああでもないこうでもないってしてた。
とりあえずフライヤー作って、ライブハウスと楽器屋さんに置きに行ったり種は蒔いたけど半年くらいはずっとそんな感じだった。
とりあえずボロボロだったし暇だったから掃除とメンテに明け暮れた。
毎日昼の1時から次の日朝5時くらいまでいて。お客さんが全然こないっていう状況が、不安で朝まで帰れなかった。
夜中なんて電話が鳴るはずもないし、いてもお客さんが来るわけでもないんだけど、なんか離れられなくて。
そういうのヤバいよね。
でも基本ポジティブだから、最悪バイトで繋いでいけばいいかみたいに思ってた。
全体的な空気が変わった
そんな時に前オーナーの時からのお客さんで大工さんがいたの。
俺が引き継いでからすぐ1回お店で飲んだんだけど。
その時に酔っ払って、自分の中で思い描いている自分のお店像を酔っ払いながら語ってたら共感してくれて。
それからしばらくしてスタジオのロビーの改装をしてくれた。しかも1週間かかるところ2日で全部終わらせてくれて。
俺らも手伝って今のロビーになってから、常連しか入りづらい空気が一気に変わった気がして。
次の月から急に新規のお客さんが増え始めたんだよね。全体的な空気が変わった感じ。
レコーディングの方も、「仲間の音源を聴かしてもらって」って大阪からわざわざレコーディングしに来てくれたり、そうやってどんどん繋がって今がある。
何が正解かわからないけど、やってる事に対して繋がっては来てるのかなとは思うから。全部結果プラスかなぁと思ってる。
行きつけの飲み屋みたいな感じで
スタジオなんだけどスタジオっぽくないっていうか。今までライブハウスを経験してきて、なんかもっとかしこまった場所じゃなくて本当にフラッと来れちゃうくらいの溜まり場的な感じにしたくて。
人生相談する奴もいれば、ただ呑みにだけ来ちゃうとか。
みんなの居心地が良くてアットホームな場所。
「今日はレコーディングで忙しいから!」とかそれくらいフランクに来れる感じ。
もっと賑やかにして、行きつけの飲み屋じゃないけど『行きつけのスタジオ』みたいな感じのノリが理想かな。
人柄と経験が生み出す心地の良い空気感
入りずらい空気など微塵も感じない。
地元の若いバンドマンが常連と会話を交わす。
自然と和やかな空気感が出来上がっているのも彼の作ってきた空気感と努力があってこそ。
これからも地元の若いバンドマンをライブハウスに送り出してほしい。
そして彼らが賑やかしてくれることはそう遠くはないのかもしれない。