世の中のデジタル化が進み、CDショップの閉店もよく耳にするほど、CDが売れないと言われている現代。かつてバイト代を叩いてやっとの思いで買ったCD。ジャケットのアートワーク、歌詞カードやレビューを貪るように見ながら、音楽を聴く。デジタルな表現よりももっと奥深くにある作品たちが、1枚のCDに込められている。
そして、音楽をやっている者は、いつかは自分達のCDをリリースをしたいと今でも夢を描く。この想いに長年寄り添い続けるのがCDプレス屋『at green』。
CDプレス屋としてだけでなく、自ら主体となって発信している、インディーレーベル「馬虎-BaToRa-Record」にも携わる、片岡令氏に話を聞く。
失わなかった熱量
俺の人生このまま終わりたくない
元々僕、バンドマンやったんですよね。年間100本近くライブやってたんです。全国周って、車中泊して。一応8年くらいはそこそこ頑張ってたので、売れてはないですけど、ライブハウスに行ったら知ってる顔がいっぱいいます。
けど26, 7歳になる時にバンドが解散しちゃったんですよね。そのときは何しようかなぁとは思いました。でもバンドが無くなったんなら、全然違うことしようと思ったんです。前からインテリアや家具が好きだったんで、そっちの世界に行こうと。
ただ、ずっとバンド中心だったので、仕事としての経験はフリーターだけ。 資格も経験もない。会社には全く相手にされなかったです。なかなか世の中甘くないなっていうのを思い知らされました。そこから2, 3年間は職を転々としたんですよね。そのなかで、独立する前に勤めていた会社が、インターネットでDVDとかを受注・発送する会社だったんですよ。
僕が好き勝手言っちゃう性格で、その会社で「どうせなら自社でDVD 作ったらいいんじゃない?」って思ってるのが表面に出ちゃったんです。するといきなり、会社から、翌日から1人で企画営業部をするように言われたんです。今考えたら左遷されたのかもしれないんですけど(笑)
そこから1人で会社内にプレスの仕組みを作りました。台湾工場にいきなり連絡取って。ところがそれが、自分の給料よりも高い利益を上げたんです。サラリーマンとして、それはそれでよかったと思いますよ。でも今までずっとバンドで作り上げてきたものっていうのは、自分のなかでまったく色褪せなかったんです。
少なからずお客さんもいてくれて、ステージでライブしてた人間ですから。いざ普通のサラリーマンになってみて、安定の給料と引き換えに会社の指示に従ってるようなら、俺の人生このままで終わりたくない。じゃぁ、「やったろうやないかっ!」って独立しました。パソコン1台で、1人で。
ガチのバンドマンから本気のプレス屋
僕がCDプレスで生き残れてる理由は多分、ガチのバンドマンから本気のプレス屋になったのは僕だけだからだと思います。
CD プレスのおかげで、当時お世話になった方ともずっと繋がってます。そういう方からご注文頂いて、またその方のご紹介で、って形でで広がっていってますね。他には、ライブもプレスもできるっていう看板のライブハウスの店長さんからのお仕事も頂いてます。CDプレスの他にも、グッズ制作は並行して最初からやってました。ネットでも商売はしてますよ。でもうちの場合は、バンドマン時代からの繋がりが強いです。
顔を知ってる人が周りにとても多いので、下手な仕事ができない。先輩に怒られないようにみたいなとこではあるんですけど(笑)。だったらきっちりやろうっていうやり方にしたんです。独立当時から、データもしっかり見て、品質もすごい良いモノにするっていう取り組み方をずっとしてきました。
台湾工場とは、制作状況から発送まで、徹底的にコンタクトをとって直接確認しています。創業当時はよく台湾に行って、今の工場との信頼関係を築きました。また、1つの台湾工場だけじゃなくて、ほかに何社かとも取引をしてます。それで納品の時期や仕様によって分けたりもしています。
このご時世CD 作るの減ったなというのをあまり感じなかったですね
ちょうど僕が独立したころは円高で、タイミングがすごい良かったんです。 CD の原価が安値からスタートできたし、ちょうどアイドルがすごい売れ出した時でもあったし。アイドルさんやビジュアル系さんとかが、盤の内容は1種類でもアートワークパターンは4種類、みたいな感じでリリースされていた頃です。
CDが売れないって言われるこの時代に、ここ10年で CD 作るの減ったなとは、自分ではあまり感じなかったですね、意外に。
リリースのための白盤の発注もありますし、よく「CDを全国リリースしたかどうか」っていうのが、バンドを始めた時の目標だったりしますし。音で勝負するのも当然ですけど、それよりも「作品として」流通させたいっていう気持ちも強くありますもんね、バンドしてたら。ダウンロードして聴いてくれたら良いっていうだけじゃないから。
子供にも自慢するようなことで一生忘れないこと
音楽やってても CD を作る機会ってあんまり無いじゃないですか。CD の注文するプロがいないんですよ。レコーディングした音はあるけど、デザインまでは作れないって相談はよくあります。うちでは、CD プレスやグッズぐらいは相談に乗って作ったりもしてます。
「ここはこうしたら大丈夫ですよ」ってお客さんにアドバイスして、ドンドン過程が進んで行く。そして、やっとお客さんの手に届いた時には本当に達成感があります。うちのスタッフも「うちに頼んで良かったとか、良いモノが出来たって思ってもらえることがやりがいだ」って言ってます。
お客さんに対して親身に。せっかくCD出すならステキなモノを作ってあげて、お客さんの音楽活動のサポートをしたい。うちのコンセプトである「趣味や仕事に燃えてる人や、夢を追いかけている人を応援したい」っていう気持ちは、やっぱり自分もバンドをやっていたからこそのものなので。
CDって一生残るじゃないですか。「ちょっと行ってきた陶芸体験旅行で作った器」みたいな、その一時だけの思い出を残すものとは大きく違いますよね。1枚のCDが出来上がるまでには、いろんな消えないストーリーなんかが山のようにある。
自分たちのバンドでオリジナル曲作って、音合わせして、 CD 作って、それが全国流通してってなったら。それはもし自分に子供ができた時に、その子に自慢できるようなことですよね。一生忘れないことじゃないですか。だからこそそんな素晴らしいことにせっかく携われているなら、できるだけサポートしたいと思ってます。
プレス屋さんから発信していく音楽、『馬虎Record』
結果そうなっちゃった感
CDプレスの仕事をやってるということと、自分がバンドマンだったということで繋がりがあった人が一緒に働いてくれてます。彼はバンドの同期で、僕よりも売れてたんですよ。それでこのレーベル「馬虎-BaToRa-Record」を任せています。CDプレスのほうは、自社でできちゃいますしね。うちに入る前から彼はレーベルをやっていたんです。そしてその時から僕もちょっと噛んでたんですよ。今は本当に色んなジャンルになりました。コンセプトがあってっていうよりも、結果そうなっちゃった感はあありますね。
可愛がってた後輩バンドがそのままレーベル入ってきたり、入社してから探した新人をアップしたり。それに、「レーベルの仕組みがわかってる」っていう点で自然と繋がっていった、色々なインディーズレーベルさんのご注文も頂いたりもしました。そんな流れでやったら、色んなジャンルになったんです。
レーベルの中で色んなジャンルがあり、それらが共存してはいる。ただ、お客さんの層が若干違うので、誰かがレコ発でも、当てにくさも多少あります(笑)。なかなかレーベルも難しいですね。
優しいお兄ちゃん来たくらいにしか思ってない
これまたうちの良い所でもあり悪い所だと思うんですけど、バンドとレーベルが仲良すぎるんですね、たぶん。緩いレーベルなので、叩かなくちゃいけない尻を叩けないんです。尻を叩くと言うよりも「拭う」感じです。バンドのみんなはめちゃくちゃ甘えてくるし。今日も京都から東京に来てるって言ってないですもん。彼らがこのホテル勝手に泊まりに来ますからね・・・
レーベルとしては、何とか彼らを売ってあげたいっていうビジョンを持っています。でも、曲を作るのもライブをするのも、アーティスト。売り出し方や方向性などを全部こっち主導で進めるわけではなく、アーティストが主体だと思ってます。
自分で言うのもあれなんですけど、うちのアーティストはみんないいモノを持ってるんです。みんなホントいいライブするんですよね。「もうちょっと早く、世間が彼らについてきてくれたらな」っていう気持ちは強くあります。でも世の中には、ほかにたくさんバンドがいるし、思うようにはなかなかいかないですね。
やっぱりインディーズな所があるので、いわゆる「世間にバーンと打ち出してのメジャーデビュー」という売り方はちょっと違うっていうバンドもうちにはいます。もしその売り方をした場合、結構ニッチなバンドもいますからね。
「世間にバーンと打ち出して」っていう方法のひとつである「音楽番組」に、いざ出るかって言われると、ちょっとバンド的に違うっていうのもあります。また、番組に「呼ばれて」出るのではなく、自分たちの場所からムーブメントを作っていって欲しいっていうバンドもいます。
あとレーベルとして難しいところが、4バンド在籍してるんですけど、レーベルの拠点が京都なのにも関わらず、関西のバンドが1つだけなんですよね。そこがなかなか会えないんで距離が大事だなと思うところが若干あります。
レコ発初日だとかファイナルだとか、キーポイントとなるライブの時はできる限り行くようにしてるんですけど・・・彼らからみれば「優しいお兄ちゃんが来た」くらいにしか思ってない・・・ただファミリー感はあるとは思います(笑)。
CDプレス屋のDOUBLE STEAL
あそこで作ったら面白いCD、音源ができるみたいな
CD プレス周辺のところは、「カセットテープやレコードなんかのニッチな所にも手を出したい」「普通のトコよりあそこで作ったら面白いCD 、音源ができるって言われるようにしたい」と思ってます。カセットテープやレコードは、CD に比べると全体数がかなり少ないので、10年後、20年後にどうなるのかが予想つかない。そこは今後の考えどころだと思ってます。
「こっちからオリジナルなものを発信していくような会社にしたい」と、独立してからずっと思っています。あくまでもCDプレスは受け手の仕事になるので、レーベルのようなこっちから発信するものを。
僕がもともと好きな別ジャンルでも動けるくらいの余裕も、できればいいなとは思います。「これはイケるな」って、鼻が利くようにはなってます。だけど今は、どこにおいても、全くもって「イケる匂い」を感じない。それが感じられた時に、動き始められたらいいなと思います。
ほかには、具体的に言うのが難しいんですけど、CD プレスやレーベルをもっと円滑に回せれるような職種があれば、そういうのをやりたいなって思ってるところですね。バンドマンには、最初のCDってどうやって作るのかっていうところから、これからも寄り添って、作品を完成させていきたいですね。
やめるまでサポートし続けようと
色々なレーベルさんとCDプレスで触れていると、見習うべきところが本当に多いです。会社を運営する上での、世間でいう常識的な判断とか。でもうちは、会社としてアーティストにこうだ!みたいなこと言えないんですよね。この方がいいんちゃう?って程度の提案くらいしかできない。
せっかくいいバンドなのに、入ったレーベルとそりが合わなくてバンドが駄目になる、ってケースもあるじゃないですか。そういうのも嫌だし。基本はバンドの子がしたいことと、現実とのすり合わせをしながら、みんなで方向性を決める方法をとるのがうちのやり方です。
予算削って、売り上げあげて、っていうやり方をすればいいものを、うちの場合なんか 「CD の特典どうする〜?」って言ったり、CDの特典も「誰もつけてないのみたいなのにしようよ?」って言ったりして、結局予算が上がっていって儲からないようなレーベルですからね。
とりあえず、各バンドにはずっとしつこく、もう、やめるまではサポートし続けようとは思ってます。なんせ好きな奴らなんでね。
回り回って戻って来た場所で
初めて自分のCDを手にした時の、あの震えた感覚を今でも忘れないでいる。
戻って来たこの場所で、彼はまた違う観点から音楽のシーンを支え、これからも世に音楽が発信されていく。
音楽が簡単にデジタルで手に入ってしまう現代だからこそ、作品として、アーティストの想いの込められた自慢の「CD」を、是非手に取ってほしい。
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