『福和家プロモーション』
なんとも縁起の良さそうなネーミングである。
運営者である福原和揮という人間は、とにかく底抜けに明るい。周りに福を呼ぶ『福は内』そのもの。周囲の人達は彼を『福ちゃん』と呼ぶ。
福ちゃんはレーベル・プロダクション・イベンターの3本柱で、今日も音楽の現場を奔走している。
淡路島の明るい太陽のもと生まれ育った彼にとって、東京の音楽業界は光差す場所になるのだろうか。
人生の転機はライブハウス
バンドがやりたくてやりたくて
中学一年の時にバンドブームが到来した時、もうとにかくバンドをやりたくてやりたくて。
当時ブルーハーツとかジュンスカ・ユニコーンとかがもう全盛期で。PATI-PATIとか宝島とかバンドやろうぜとか、音楽雑誌を買いあさるという。
そこからは高校までバンド一色。ずっとバンドやってた。
当時バンドマンが単行本出すのが流行ってて、写真だったり昔の馴れ初めを書いてたりとかするんだけど、そういうのに憧れてて。
だから自分達でそういうの作って、よくあるのが『バンドの50の質問』とか。ああいうの自分で考えて、自作自演で答えて、コピーしてみんなに配ったり(笑)
生まれが淡路島なんだけど、やっぱり文化が遅れてるし、ライブハウスもないしダメだっと思って、当時のメンバーと一緒に大阪でバンド活動をした時期もありましたね。
裏方で勝負かけようと
20才になって、みんな東京出てくる勇気がないって感じだったから「僕一人で勝負する」って言って東京に出てきたんです。
東京では新しいメンバーで。5.6年やってたかな。
ずっとオーディション受けたり、事務所にデモ送ったり、ライブをやったり、自主企画やったり。
いわゆる今の若いバンド達がやってることを一通りやって、事務所も入ったけど、デビューまでいかずみたいな感じでしたね。
それで、26才でライブハウス、プラケー(吉祥寺Planet K)に入るわけよ。最初両立させたいなって思ってたんだけど、バンドも裏方も両方はやっぱり無理で。
どうしようってなった時に、「裏方で勝負かけよう」と。
メジャーを狙うとかCDを出したいっていうのは諦めました。26才で完全にライブハウスの裏方として生きていくって決めたんです。バンドやる側からバンドマンを応援サポートする側に。
人生の転機ですね。
結構な勇気というか、中学校からバンドやってたから、10年ぐらいやったものを一気に諦めるみたいな感じ。
でも裏方になった限りは、裏方でちゃんとトップ取らなきゃと思って。トップというか、ちゃんと仕事出来るようにならないといけないなと。その結果、後に店長になりました。
ライブハウスでできることは全部やった
プラケーにいる時に一番印象的だったのは地元淡路島で開催した『PLANET A CARNIVAL』っていうフェス。
ライブハウスでしかやってきてない子達を、勉強させたかったというのもあるし、スタッフとしてプロのフェスを経験させてあげたかったんです。それに加えて自分の地元も盛り上げたいなっていうのも重なって。
無事事故もなく終えて、それこそThe BirthdayとかSHERBETSとかGO!GO!7188とか、そのメジャーアーティストが出演するようなフェスを、スタッフみんなの力で成功させる事が出来たんです。
それ以外にもサーキットイベントやったり、レーベルも作り。
大好きだったジュンスカとかが出演してくれたり。自分が頑張った結果として、雲の上だった人がプラケーに出てくれたんですよね。
それで、ある程度達成感というか、やりつくした感があって。もう、ライブハウスでは全部出来ることはやったみたいな。後は同じ繰り返しというか、そういうアーティストを何回多く呼べるかみたいな世界になってきて。
ライブハウスって名物店長みたいになっていく人もいれば、どんどん代替えして若いアーティストでチーム組ませるっていうのもあって、僕は後者の方がいいんじゃないかなって思って。
そういう意味でもまず自分が一回引退して、イベンターとして外部からライブハウスを見て、イベントをやらせてもらうっていう関わり方をしようかなって思って。
音楽業界の福男 〜今とこれから〜
今でも色々勉強させてもらってる
いきなり福和家プロモーション設立!って感じではなくて、最初は準備期間で委託みたいな形で仕事をさせてもらって。辞めてすぐ3か月ぐらい雇ってくれた会社があって、そこでみっちり音楽ビジネスを勉強させてもらったんです。
ほとんど決まった仕事が無いから、並行して知り合いの登録制のイベント会社でイベントスタッフやったり。それも勉強になるかなって思って。
音楽業界で働いてお金貰いながら、勉強させてもらってたからラッキーだったよね。
今も勉強したいのは変わらないし、常に自分の今までの経験がなかったことを、今40過ぎてから始めてるみたいな。
すさまじく『福』ついてるから
福和家プロモーションは、知り合いのミュージシャンに名前を付けてもらったんです。
変に英語のプロダクション名つけるより、福原だし、福っていうのをつけようって言って。
実は母方の名字は福に栄えるで、『福栄』なんよね。そして生まれた町が福が良いって書いて『福良』っていう。小学校は福良小学校。あと、去年までは西永福住んでて。
すごい、福に恵まれてるよねってなって、すさまじく福ついてるから、じゃあ、『福』つけようって。『福原和揮』だから福原の福と和揮の和の家で『福和家プロモーション』。福原和揮の家。
だから、税務署に行ってももすごい言われるのよね。「福原さん名前すごいのにね、この収入って(苦笑)」
「あなた、福和家なんていい名前つけてるんだから、もっと収入あげていかないとね!」って言われるぐらい(笑)
最近では、5,000人規模くらいの夏フェスの運営に関わることになったり、JCOMさんとのイベントをレギュラー化で企画中。去年はThe Birthdayとストレイテナーに出演して頂いたんですけど、今年も絶妙なブッキングができたらいいなと思ってます。
他にも声優さんのアニメ主題歌のリリースだったり。仕事は盛り沢山なので、そこでも福?お金?が入ってくるといいよね。がんばります(笑)
reading noteに関しては「濃く・長く」
Photo by あんちょび
今福和家所属って自分で認識してるバンドは『reading note』です。
CDのリリースだけじゃなくて、活動の色々これからバンドが大きくなっていけるようにサポートしてます。
とにかく曲の良さがあって、僕の好み。
決して明るいタイプではないんだけど、その無理して明るくしてない所がいいかな。心地いいかな。暗いとはまた違うんですよね。ただ、無理して明るくしてない。寄り添う系ね。
なんか寄り添って、さっと耳に入ってくる音楽って、自分の中でそういう存在が、体の中にあるといいなと思って。
あとは飽きさせないっていう所かな、ずっと何回も聴いてても。
僕の中では、この曲は知る人ぞ知るじゃなくて、お茶の間に持って行けるレベルかなって。老若男女に受けるんじゃないかっていう素材。
他のアーティストは期間限定でお手伝いするという形でお仕事させてもらってるけど、reading noteに関しては、ちょっと濃く長くっていう感じで、これから大きくしていきたいなと。
人に恵まれてここまで来た
アーティストと二人三脚でいきたい
欲がないわけじゃないんだけど、そんな、大会社にしたいわけじゃないんですよね。
アーティストもすごい沢山抱えたいわけじゃなくて、二人三脚で行きたいっていう。だから僕、社長とか役職なんか付いたとしても、バンドと何かチラシ配りだってやりたいし。
まずイベントやるにしても、ちゃんとみんなが納得するイベント、本数が増えたとしても赤にならないイベントを1個ずつ作る。っていう、初歩の初歩を一生やっていきたい。
それで、会社が大きくなったらラッキー(笑)
人とコミュニケーションとるのが好きだから、物販とかで声出してお客さんと話したり、この曲がいい、あの曲がいいとかいう事を一生していきたいな。
おじいちゃんになってもそれが出来たらいいなって思う。
憧れの人はすごい大御所
バッドミュージックの門池社長を凄く尊敬していて。大御所過ぎて恐れ多いけど、「門池さんと福ちゃんは、人を楽しませる点では共通してる部分がある」と言われて、すごくテンションが上がったことがあります!
長くアーティストを面倒みるっていう所も尊敬してるし、ジュンスカをバッドミュージックの第一弾アーティストにするっていう目利き。長く続けてるアーティストをちゃんと作ってる偉大な人だなと。
門池社長みたいになりたいっていうよりかは、ああいうテンションの高いおじさんになりたい。
大物のアーティストたちがすごいフレンドリーに「門やん門やん」って呼んでて、すごい慕われてる業界人。トップクラスだなと思って。憧れの人って言われたらね、いつも、門池さん。
福和家をちゃんと大きくしていきたい
ほんとに人に恵まれてるなと思うんですよね。
フリーになった時には、「ご祝儀だ」って名刺やHP作ってくれたり。周りの人たち、友達が助けてくれてる。
だから、東京に居たいんだと思う。多分、実家帰った方が楽。歳も歳だし。東京居たい理由は、友達がいるから。
そして、とりあえず福和家を大きく、大きくというより、成功させたい。
名前をちゃんと大きくしたい。
会社の建物を大きくするとかじゃなくて、ヒットを作るということも含めて、仕事の内容を大きくしたい。そして力になってくれた友達に、ちゃんと恩返ししていかないとね。
周囲に福を撒き続ける
「とにかく人の繋がりが大事」と語る福ちゃん。
その表情にはひとつも曇りもない。いかに彼が人に恵まれ、人を大切に思ってきたかがよく分かる。
音楽業界は厳しい。売ることの難しさや苦しみもよく解っているであろう。その現場の中において、周囲に福を撒き続けるのが福ちゃんである。
そして撒いた福は人脈となって彼の元に届く。
今日も彼は、アーティストと二人三脚で東京の街を歩き続けるのだ。どこまでも。